何十年もの間、イランの絶対的な権力者(パトリ=家長)として君臨し、誰も動かせないと思われていた最高指導者アヤトラ・アリ・ハメネイ師。彼が殺害された後、首都テヘランで行われた大規模な国葬の裏で、いかにこの街と体制が揺れ動いているかニューヨーク・タイムズ(NYT)がルポルタージュ記事
で描いている。

この記事が伝えているポイントは‥‥
🔷国家による「力と継続性」の演出
イラン政権にとって、ハメネイ師の葬儀は単なる個人の追悼ではない。軍事的な打撃や、長年の経済制裁、国内の反発によって傷ついた体制の「権力」と「正当性」を国内外に見せつけるための巨大な政治的ステージで、数日間にわたる組織的な群衆の動員、宗教的な哀歌、そして国旗の海を使い、政権は今回の戦争による痛手を「殉教と勝利」の物語へと書き換えようとしている。

🔷新指導者モジュタバ・ハメネイ師の「奇妙な不在」
この記事で最も象徴的に取り上げられているのが、ハメネイ師の後継者として新たに最高指導者に就任した息子のモジュタバ・ハメネイ師の動向だ。 モジュタバ師は父親の葬儀に出席し、亡き父のために自ら祈りを捧げることを強く望んでいた。しかし、治安当局は「イスラエルによる標的攻撃(暗殺)の恐れがある」として、その出席を拒否した。結果として他の3人の兄弟は葬儀に姿を見せたものの、新リーダーであるはずのモジュタバ師本人は、2月に父親が亡くなって以来、一度も公の場に姿を現していない。
というNYTの内容はイラン側の主張からのもので、実際にはモジュタバ師は「出席を拒否された」のではなく、「物理的に出席不可能なほどの重傷を負っている(あるいは五体満足ではない)」というのが、メディアの報道やインテリジェンスが指し示すリアルな情勢だ。
NYTに限らないが米国のマスコミはリベラルであり、イラン、中国に「やさしい」点は常に注意が必要だ。
それでも、権威をアピールしたいはずの葬儀でトップが隠れざるを得ないという矛盾が、現在の政権の脆弱性を浮き彫りにしている点を報道している。
🔷変わりゆくテヘラン(Changing Tehran)のリアルな空気
国葬のために数千台のバスが手配され、学校やモスクが宿泊所に変えられ、街中に哀悼の旗が掲げられる一方で、テヘランの街と市民の空気はかつてと大きく異なっている。 ここ数年でハイパーインフレや激しい反政府デモを経験し、さらに戦争に巻き込まれた市民たちの間には、深い冷め切った視線と不信感が広がっている。政権がどれほど「力」を演出しても、市民の日常生活の疲弊と体制への心理的な距離は埋まっておらず、かつて絶対的だった最高指導者の支配が過去のものとなりつつある「移行期」のリアルなテヘランの姿が活写されている。
この記事の核心
イラン政権はハメネイ師の棺を担ぎ、国葬の演出によって力を見せつけようとしている。しかし、棺を舞台に権威を再構築しなければならないという事実そのものが、もはやかつてのような絶対的な支配力が失われていることの裏返しである。