文系研究者の多くは左翼思想に対して左翼の工学系研究者は殆どいない





文系に比べて理系、特に工学系の研究者に「左翼思想」のイメージを持つ人が少ない(あるいは実際に目立たない)というのは、非常に興味深く、かつ明確な構造的理由がある現象だった。

これは研究者個人の性格というよりも、「扱う対象」「研究に必要な資金の出どころ」「評価の基準」という3つの決定的な違いから生じている。

1.扱う対象が「社会(人間)」か「自然(物理法則)」か
思想や政治的スタンスが生まれるかどうかは、研究対象そのものに左右される。

• 文系(人文・社会科学): 研究対象そのものが「人間」「社会」「権力」「歴史」です。既存の社会システム(資本主義や国家権力)の歪みや格差を批判的に検証すること自体が学問的なアプローチになりやすいため、どうしても現状維持を疑う「進歩主義(左派的・リベラル)」な視点と親和性が高くなる。

• 工学系: 研究対象は「物理法則」「数理モデル」「物質の特性」
F=ma(物体に生じる加速度は、加えられる力に比例し、質量に反比例するというニュートンの運動法則)
の数式や、半導体の電子の動きに「右翼も左翼も」ない。自然科学のルールに従って「動くか、動かないか」「効率が良いか、悪いか」という客観的なファクトだけがすべてであるため、個人の政治思想が研究内容に介入する余地が原理的に存在しないのだった。

2.研究資金(グラント)の圧倒的な構造の違い
大学の研究は、国や企業からの資金がなければ成り立たないが、その依存度が文系と工学系では桁違いだ。

• 工学系の研究は「巨大な資金」が必要: 実験装置の購入、材料費、研究室の維持には、年間で数千万〜数億円規模の莫大な予算(科学研究費補助金や民間企業からの共同研究費)が必要となる。

• 国家や大企業との「一蓮托生」: 工学系のトップ研究者になればなるほど、国家の成長戦略(国家プロジェクト)や、日本を代表する大企業(トヨタ、日立、三菱重工など)との結びつきが強くなる。必然的に「現体制のシステムの中で、いかにテクノロジーを発展させて社会に実装するか」という実利的な思考(安定的・保守的なスタンス)になりやすく、国家権力や大企業を真っ向から批判するような左翼思想とは、立場上も構造上も馴染みにくくなる。

3.「批判」が成果になる文系、「実装」が成果になる工学系
学問における「成果」の定義も真逆となる。

工学の本質は「役に立つモノを作って社会の課題を解決すること(インフラの整備、エネルギー効率の向上など)」で、これは、既存の社会(国や産業界)の枠組みを前提として、その中で機能するものを生み出す作業だ。そのため、思考のベクトルが「現状の社会をどうやって良く(便利に)するか」という現実主義(リアリズム)に向きやすくなる。

唯一の例外:かつての「科学者運動」と軍事研究拒否
歴史を遡ると、戦後の日本(1950〜70年代)には、工学系や理系の研究者の中にも「日本学術会議」などを中心に、反戦・平和主義(左派的運動)に傾倒する動きが強くあった。これは「科学技術が戦争(兵器開発)に利用されたことへの強い反省」から生まれたものだった。 しかし、冷戦の終結や産業構造の変化、さらに「研究費の削減」に直面する現代においては、そうした政治的イデオロギーよりも「いかに研究室を存続させ、技術を発展させるか」という実利主義が完全に主流となっている。

要するに、工学系研究者は「左翼がいない」というよりも、「物理法則を相手にし、国家や企業と連携してモノを作る」という仕事の性質上、政治思想を語る必要性がなく極めて現実的な思考回路(リアリスト)になりやすいというのが最大の理由だった。