「ビースト(The Beast)」と呼ばれる米国大統領専用車の心臓部や足回りに、いすゞ自動車の技術が深く息づいているといる。
一見、純アメリカ産のアメ車(キャデラック)に見えるビーストだが、その中身は過酷な大統領警護に耐えるための「強靭なトラックのシャシー」と「超高トルクのディーゼルエンジン」で構成されている。ここに、いすゞが長年培ってきた世界最高峰のディーゼル技術が組み込まれている。


なぜ日本のいすゞが、アメリカの大統領専用車の技術を支えることになったのか、その背景にはGM(ゼネラルモーターズ)との歴史的な協業関係がある。
1.ビーストの「中身」はキャデラックではない
ビーストは、外観こそ高級セダンのキャデラックのデザインを模しているが、これはあくまで「ガワ」だけ。
総厚8インチ(約20cm)の防弾・防爆装甲や、航空機並みに重いドアを備えたビーストの総重量は約7トン〜9トンに達する。普通の乗用車のシャシーでは重さに耐えかねて潰れてしまうため、ベースにはGM製の商用トラック(GMC・トップキックやシボレー・コディアックなど)のプラットフォームが使われている。

そして、このGM製トラックの足回りとパワートレイン(駆動系)の開発において、主導的な役割を果たしたのがいすゞ自動車だった。
2.いすゞがV8ディーゼル技術を持つ理由
いすゞ自動車は、中小型だけでなく、日本のトラック輸送の黄金期・大パワー競争を牽引した「多気筒大排気量V型ナチュラルアスピレーション(自然吸気)ディーゼル」の絶対的な雄だった。40年前(1980年代)には、すでに国内の大型トラック向けに、圧倒的な技術力でV8、V10、そして最高峰のV12エンジンまでをフルラインナップしていた歴史がある。
GMとのアライアンスと「DMAX」の設立
1971年から始まったGMといすゞの資本・業務提携の中で、いすゞはGMグループにおける「ディーゼルエンジンのセンター・オブ・エクセレンス(最高技術責任組織)」に指定された。
当時、アメリカの大型ピックアップトラック市場では、フォードやクライスラー(カミンズ製エンジン)が強力なディーゼル車で市場を席巻していた。これに対抗するため、GMは自前の旧式ディーゼルを捨て、信頼性の高いいすゞの力を借りる決断をする。こうして1997年、両社は米国オハイオ州に共同出資のエンジン会社「DMAX社」(いすゞ60%:GM40%出資)を設立した。
伝説の名機「デュラマックス(Duramax)V8」の誕生
このDMAX社において、いすゞの主導でゼロから新開発されたのが、6.6リットル V型8気筒直噴ターボディーゼル「Duramax(デュラマックス)」エンジンだ。

デュラマックスの革新性
それまでのアメリカ製ディーゼルの「うるさい、煙が出る、重い」という常識を覆し、商用車クラスで世界初となる高圧コモンレール直噴システムや、軽くて放熱性の高いアルミ製シリンダーヘッド(初期は日本で鋳造)を採用。圧倒的な静粛性と、怪物クラスのトルク(現行型では約1,300Nm以上)を両立させた。
このエンジンはGMのフルサイズ・ピックアップに搭載され、市場シェアを瞬く間に拡大。アメリカの乗用・商用ディーゼル界の覇権を握る名機となった(※なお、DMAX社は2022年にGMの完全子会社となったが、技術的ルーツはいすゞにある)。
3.なぜビーストに「いすゞ製V8ディーゼル」が必要だったのか
ビーストのパワートレインにこの「Duramax V8ディーゼル」が選ばれた(と強力に推認されている)のには、大統領警護上の絶対的な理由がある。
• 圧倒的な低速トルク:8トン前後の超重量を、テロなどの緊急時に停止状態から一気に加速させるには、ガソリンエンジンの馬力よりも、ディーゼル特有の「底排気量・太い低速トルク」が不可欠だった。
• 燃料の安全性(防爆):ディーゼル燃料(軽油)は、ガソリンに比べて揮発性が低く、引火点が圧倒的に高いため、銃撃や爆発物による攻撃を受けても極めて爆発しにくいという軍事上のメリットがある。また、米軍の主力輸送機(C-17など)や随行する軍用車両(ハンヴィー等)と燃料(ジェット燃料のJP-8や軽油)を共通化できるため、世界中どこへ行っても補給が容易というロジスティクス上の利点もある。
まとめ
アメリカの国家威信の象徴である大統領専用車「ビースト」だが、その命題である「何があっても絶対に止まらないタフさ」を担保しているのは、いすゞ自動車が持っていた高度な商用トラックのシャシー技術と、GMと共同で花開かせたV8クリーンディーゼル技術だった。
この分野でも米国が日本を切り離せない事情があるのだった。