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2019/7/25 (Fri) 50年前のレーシングカー<6>
Porscheつづき
910 に続いてルマン用に開発したのが 907 で内容的には 910 の改良型というべきモノで、6気筒 2Lの 907 と8気筒 2.2L の 907/8 という2つのエンジンバリエーションがあるのも 910同様だった。戦歴は 1967年のルマンにデビューして総合 5位を獲得している。因みに総合優勝はフォードGT マークⅣだった。
1968年は8気筒の 907/8 が主力として活躍し、デイトナ24時間では優勝し、2~3位の 907 と共に3台並んでのフィンッシュとなった。次のセブリング12時間とタルガ フローリオでも優勝した。しかしここで主力は新モデルである 908へと移っていった。
908 は1968年のレギュレーション変更でグループ6 (プロトタイプスポーツカー) の排気量が 3L に制限された事により開発されたモデルで、907 のボディーに 8気筒 3L エンジンを搭載しシーズン第4戦 (モンツァ) から投入された。新レギュレーションの上限である 3L モデルの投入により、ポルシェは常に総合優勝を狙えるチャンスが巡って来た事になる。
908の1968年の戦歴は第6戦のニュルブルックリンク 1000㎞ で優勝したが、その後はトラブルが相次ぎルマン 24時間でも 907 の 3位が最上位だった。
1969年の戦歴は大きく前進し、BOAC 500マイル、モンツァ 1000㎞ 、タルガ フローリオ、スパ フランコルシャン 1000㎞ 、ニュルブルックリンク 1000㎞ 、ワトキンス グレンで優勝し、ポルシェチームは10戦中7戦で優勝しメイクスチャンピオンシップを初制覇した。
1968年のレギュレーション変更では前述のグループ6と共にグル―プ4(スポーツカー) も排気量制限により 5L に制限された。これに合わせてフォード系チームは既に旧型と化した 5.0L のフォードGT40 を改良して参戦し、最近の 3L プロトタイプと同等以上の速さを見せつけた。これを見たポルシェはスポーツカ-クラス車の開発を始めたが、1969年より生産公認の台数が50台から25台と引き下げられた事も新型車開発の決断の理由となった。
そして908をベースにエンジンを拡大した 917 を1969年に多少遅れるも何とか公認を主とした。917 は新設計の空冷水平対向12気筒 4.5L の912型エンジンを搭載し、その性能は 500ps/8,000rpm 450N-m/6,800rpm という強力なものだった。ただし、水平対向とはいえ事実上の180° V12で、これはファラーリの 12気筒と同様だ。
917には多くのバリエーションがあり、1969年のルマン24時間に出場したのは長い直線での安定性を重視したロングテールの 917LH だが結果はリタイヤとなり、その他のレースでも結果は芳しく無く、最終戦のオーストリアでのみ優勝した程度だった。
1970年は従来 917 と呼ばれていたショートテールがボディフォルムを一新し 917K へと進化した。917K はダウンフォースの安定化とエンジンを4.9L 590hp へとアップし、1971年には5L 630hp へとパワーアップされた。
1970年の戦歴は 917K の投入により 10戦中7戦で優勝し、ルマン24時間では悲願の総合優勝を果たした。なおこの年はポルシェワークスとしての参戦は休止しており、前フォード陣営だったジョン ワイアの JWA にレースを委託していて、これが有名なガルフカラーのポルシェだった。
1971年での917Kは 11戦中7勝 に加え 908 でも1勝するという強さでシリーズ優勝も手中に収めた。なおルマンでは 917K が走行距離 5335.313㎞ という、その後29年間破られる事の出来なかった驚異的な記録で、最高速も396㎞/h という凄まじいものだった。
ところでこの 917 のシリーズにはタイヤ周りの空気抵抗削減のためにワイドボディとした917/20 というモデルがあったが、その不細工な外観から雌豚ベルタ (Berta die Sow) というあだ名が付けられ、スポンサーのマルティー二がボディーにスポンサー名を書かないように命じたという話もある。
ところが、1971年のルマンにはこの外観の不評を逆手に取って、何とピンクの塗装に豚肉の部位、すなわち豚肉の説明図にあるロースとかモモとかを書き込み、通称 Pink Pig と呼ばれる後々まで語り継がれるモデルとなった。しかもプロトタイプクラスで優勝してしまった。
1972年にはスポーツカークラスが廃止されたために、917を含め多くのマシンが出場できなくなり、フェラーリなどと同様に舞台は Can-Am へと移って行った。
1960年代中盤から続いた人気のプロトタイプスポーツカーレースは、途中何度かのレギュレーション変更で主力のクルマもフェラーリ、フォードからポルシェに移ってはいったが、人気に陰りが出る事は無かった。実は FIA はフランスの力が強く、度重なる大排気量の締め出しは裏を返せば小排気量を得意とするフランス車が優勝戦線に加わる事を目論んでいたもので、1972年の改定で主力メーカーが全て撤退してしまった事から、これら主力チームが去った後にルマンを制覇するなど躍進したのはフランスのマトラだった。これによってフランスの目論見は成功したかに見えたが、皮肉な事にポルシェやフォードの不在となった事による人気の低迷は致命的で、スポーツカーレースの人気は一気に衰退したのだった。
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2019/7/24 (Wed)
2019年 上半期国産乗用車販売速報
2019年も半分が過ぎてしまい、上半期の販売台数データーも発表されている事から、国産乗用車の販売結果を纏めてみる。 最初に目に付くのは昨年1位の日産ノートに変わって3位だったプリウスがトップを獲った事であり、あれだけ暴走事故で有名になったプリウスだがその割には売上は絶好調のようだ。3位は昨年の2位のアクアで、トヨタの HV 同士としても順位が入れ替わっている。 4位のセレナは昨年と変わらず、ようするに発電式のハイブリッドである e-POWER が売れているからで、そうして見ると1~4位はハイブリッドという事になる。ノートとセレナ以外にトップ10に入ったトヨタ以外の車種は8位のホンダ ブリードで、これは11位のフィットとホンダ同士で入れ換わった事になる。しかし例によってトップ10の内7車種がトヨタ車という事で、相変わらずトヨタの1人勝ち状態だ。そしてこれ以降 20位 (昨年は21位) のエクストレイルまで日産は見当たらないのも昨年と同様だ。付け加えれば、20位以降の日産車は 35位 (昨年も同じ) のリーフ、43位のマーチ (昨年も同じ) 、それ以後は50位までの間には見当たらないのも、これまた昨年と同様だ。 ホンダについては前述の2車種を含めてトップ50に9車種が入っていて、日産の5車種に比べれば大いなる検討だ。そしてマツダはというと5車種、スズキが4車種、スバルが3車種という状況で、やはりトヨタの独壇場だった。 因みにダイハツの2車種はトヨタ向け OEM 車のオリジナルを自社ブランドでも売っているというものだ。またトップ50 で唯一の三菱車がデリカ D5 で、昨年鳴り物入りで発売されたエクリプスクロスは既に圏外となっている。 次回は軽自動車とこれを含めた総合順位を纏めてみる。
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2019/7/22 (Mon) Chevrolet Corvette C8 Stingray (2020)
米国車では唯一のピュアスポーツであるシボレーコルベットの新型が発表された。
先ずはエクステリアをみると‥‥
何とこの雰囲気は如何見てもフェラーリの V8 モデルにソックリだ。
リアビュー何かフェラーリ以上にフェラーリらしい?
室内もコクピット感覚のスーパーカー風で、エクステリアに似合っている。
ミッドシップに搭載されたエンジンは V8気筒 6.2L 自然吸気 495ps 637N-mで、 トランスミッションは 8速DCT。リアハッチのガラスパネルからエンジンを眺められるという発想もフェラーリと同じ。
価格は未だ発表されていないが、米車らしく買い得価格だと相当な人気を博しそうだ。
なお何時ものように詳細は下記にて。
⇒ https://www.netcarshow.com/chevrolet/2020-corvette_c8_stingray/