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2019/4/10 (Wed) 平成元年のクルマたち<5>
今回は残る5メーカーについて纏める。
Mazda
バブル期のマツダは1989年に5チャンネル国内販売網を展開した。しかしトヨタでさえ5チャンネルなのにマツダがそんな事をやって上手く行く筈も無く、
その後のマツダは経営危機へと突き進む事になる。
そのバブル期のマツダを象徴する車種が 1991年に発売されたセンティア (海外では929) で、何とEセグメントの高級サルーンだった。サイズは当時の国産車としてはかなり大きく、一見ジャガー風のデザインと共に高級車の雰囲気は充分にあった。エンジンはV6 2.5L (160ps) と 3.0L (200ps) で、特に 3.0L の動力性能は当時としては相当に強力だった。
しかしマツダの高級車何て誰が買うのかと思えば、中小企業の経営者や (エリートでは無い) 公務員で、前者は親会社に、後者は上司 (管理職) に気をつかって、マツダなら許されそうだというのが理由だったとか。しかしバブルの崩壊と共にこんなクルマを買うユーザーはいなくなり、それでも FMC を経て 2000年まで販売されていた。
そしてバブル期といえばオフロード 4WD ブームだが、マツダもこれに乗り遅れてはいけないと1991年に発売したのがプロシードマービーで、ボンネット型小型トラックのマービーをベースにワゴン化したものだった。しかし、ハイラックスサーフやテラノに敵う筈も無く、マイナー車で終わってしまった。
Izuzu
当時既に乗用車では苦戦していたいすゞだが、本職の小型トラックをベースとしたビッグホーンは三菱 パジェロのライバルとしてアンチ三菱ユーザー向けとしてそれなりに売れていた。初代モデルは1981年に発売され海外でも評判は良く、1991年に FMC されて2代目となった。このクルマのボディは流石に "トラック屋" だけあって実にシッカリと出来ていたが、如何せん販売網が弱かった。
Subaru
バブル期で日本中が湧いている中でスバル (当時の社名は富士重工業) は販売不振に陥っていた。そんな中で 1989年に発売されたレガシィのヒットでスバルは起死回生の復活を遂げ、取り分け高性能ワゴンというコンセプトがうけて一時期は街中でもツーリングワゴンを可也見かけたモノだ。
そのレガシィも今では海外向けとして大きくなり過ぎた事から国内向けはレヴォーグに変わっているが、勿論黄金時代の輝きは無い。
Honda
バブル時代には軽や小型車メーカーであったホンダまで高級セダンのレジェンドを発売していた。とは言え初代レジェンドは1985年に発売されたから他社のようにバブル狙いというよりも、それ以前に米国で展開するアキュラブランド用として開発されたものだった。
そしてバブル期には1990年に2代目が発売され現在は5代目が販売されているが、レジェンドに限らずホンダの高価格車に共通なのが FMC 時には特定のホンダファンによる注文が集中し1年待ちとかになるが、それを過ぎると完全に世の中から忘れ去られてしまうという現象だ。勿論発売から4年が経過した現行 (5代目) モデルも完全に世の中から忘れ去られている状況だ。
Suzuki
軽自動車メーカーであるスズキはバブルの恩恵は少なかったであろうが、その中では1988年に発売されたエスクードはオフロード車というよりは現在の SUV に近い性格のクルマであり、1.6L エンジンを搭載した当時のスズキとしては珍しい普通車枠のクルマだった。
スズキには軽自動車とはいえ本格的な悪路走破が出来るジムニーがあったから、4WD車には手慣れていた事もあるが、性格的には全く異なるエスクードを開発したのも興味深い。
これで乗用車とオフロード 4WD については終了とするが、バブルと言えばスポーツカーも忘れられない。何しろ比較的高価なクルマが多く、しかも実用的にはセダンに負けるという特性は正にバブル向きであるから、これを取り上げなければ片手落ちだ。
⇒ 平成元年のクルマたち <6>
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2019/4/8 (Mon) 平成元年のクルマたち<4>
Mitsubishi
前回までのトヨタ、日産に続き今回は三菱を取り上げてみる。
実は当時の三菱は今とは違い破竹の勢いで、街中には結構三菱車が走っていた。まずセダンとしては 1990年に発売されたハイオーナークラスのディアマンテが結構人気を博していたが、実はこのクルマ、当時の税制では極端に負担が多くて売れなかったが3ナンバーサイズで開発されたが、実際の発売時には税制が変わって3ナンバーでも大した負担では無くなっていた、という胡散臭い事で大人気となった。
因みにこの情報を持っていなかったホンダは直前にアコードインスパイアを5ナンバーで発売したが、ディアマンテに対して大きなハンディを負ってしまった。なおディアマンテをベースにデザイン違いのボディ―を乗せたのがヒュンダイの上級車であったグレンジャーである。
ディアマンテの下位となる車種がランサーで1991年に FMC された4代目が一部で人気があった。というのも GSR という 1.8L ターボ 195ps のモデルがマニアに人気があり、これは後のランサーエボリューションに発展する。
当時の三菱で人気を博した車種として4WDオフロード車のパジェロがあった。実はこのクルマはピックアップトラックベースであり、トヨタ ランクル80 や日産サファリと比べれば走破性では劣るし本来車格も一つ下なのだが、宣伝の上手さもあり当時は抜群の人気で、特にサイドに太いストライプを入れたエクシードという高級グレードが売れに売れて、納車には半年以上かかる状態だった。
しかし走破性の無さは都会では判らないまでも、主力モデルのディーゼルエンジンがターボとはいえ4気筒 2.5L と非力な事から、勘違いして飛びついた芸能人を含む成金が1年も経たずに売却して話を度々耳にした。
パジェロがマニアからすれば似非オフローダーだったとはいえ、一般車に比べればそれなりの悪路走破性はあったが、1991年に発売された RVR はシャリオのシャーシ―をショート化してオフロード車風のボティーを乗せた、正にナンチャッテオフローダーだったが、これも無知なユーザーには結構受けて、それなりの人気車だった。
バブルといえば高級車だが、前述のディアマンテよりも上級のセダンがデボネアで、初代モデルは 1964年発売という初代セドリック等の時代から 1986年まで延々と生産されていて、走るシーラカンス等と言われたモノだが、22年ぶりに FMC されたのが 1986年発売のデボネアVだった。このクルマは車格の割には FWD という構成で、ぶっちゃけランサーもディアマンテもベースは同じシャーシ―だった。
このように何やらカッコだけのクルマばかりの三菱だが、実はマニアも納得というモデルがあった。それがジープで、このクルマは戦後新たに組織された警察予備隊 (後の自衛隊) 向けとして米国ウィリス社からライセンス生産を行ったもので、本家が生産を中止した後もほぼオリジナルのモデルを生産していた。特に写真右下の白い塗装のモデルは自衛隊の警務隊用と殆ど見分けが付かないくらいだった。
このようにバブル期には成金やミーハー相手のインチキなクルマで破竹の勢いだった三菱自動車だがその後は徐々に落ち目となり、今ではルノーグループとなって何とか倒産を免れるという状況は説明するまでも無いだろう。
⇒ 平成元年のクルマたち <5>
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2019/4/7 (Sun) Toyota JPN Taxi<3>
JPN Taxi のドアは左側がミニバンのようなスライド式で右側は普通のヒンジ式となっている。確かにタクシーとして乗客が乗り降りする際に、現コンフォートのようなヒンジドアではドアの開く幅だけクルマを右に停車する必要があり、後方からの自転車との問題を考えてもスライドドアが正解だし、普段使わない右のドアはヒンジ式でも問題無い、という合理的な設計となっている。
後席の足元スペースは充分にある。また狭い車幅の割には後席3人掛けが問題無く出来そうで、これもタクシー専用車ならではだ。
室内のシートは何故かドライバー用とパッセンジャー用で表皮の色が明らかに違う。これも実用を考えての策なのだろうか?
フロントパッセンジャーシートのヘッドレストは通常は低い位置にあり、後席からの視界を妨げない配慮がされている。またルーフにはリア用のエアアウトレットが見える。
ダッシュボードにはタクシー用としての独特な機材が装備されている。
AT セレクターはダッシュというかセンタークラスー上にあるいわゆる ”インパネシフト” となっている。その手前にあるのは多分領収証用発行用のプリンターだろう。
ダッシュボードの左端には賃走表示用のディスプレイが、そしてセンタークラスターには矢崎製の多分タクシーメーターと思しき機材が付いている。
トヨタが長年研究していたタクシー専用車として満を持して発売したのが JPN Taxi であり、最近は郊外でも偶に見かけるようになった。まあ今現在は生産終了前に駆け込みで入れ替えたコンフォートが当分使用されるだろうが、数年後には JPN Taxi が街中で頻繁に見られるようになると思われる。
しかしタクシー用としては300万円代と言うのは高過ぎる気もするが、ハイブリッドによる経費節減とより耐用年数を延ばす設計により、タクシー会社としては充分にペイするスト―リが出来ているのだろう。そりゃトヨタの優秀な本社営業達だから‥‥。
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2019/4/6 (Sat) Toyota JPN Taxi <2>
フロントビューは全幅 1,695 x 全高 1,750㎜ で全幅を5ナンバーサイズにしているのはコンフォートと同様で、タクシーは狭い路地まで入る必要があるのでこのサイズなのだろう。となるとプリウスαの全幅1,775㎜ はタクシーとしては広過ぎるという事になる。実際、東京でも古い街並みでは5ナンバーサイズでやっと入れるような道も結構ある。
リアビューは一見ワンボックスバンのようだが、リアコンビネーションランプがピラー上をルーフ近くまで伸びている。これはブレーキランプなのだろうか?
サイトビューは全長 4,400㎜ ホイールベース 2,750㎜ に対して全高は1,750㎜ と高く、特に写真で見るとウエストラインから上のグラスエリアは高い事くて、まるでミニカトッポの親玉みたいだ。本家のロンドンタクシーはシルクハットをかぶったままでも乗り降りし易いようにルーフが高いというが、JPN タクシーは日本髪でも乗り易い‥‥って事は無いが。
エクステリア上での特異点は今時珍しいフェンダーミラーを装備している事だ。その理由は狭い道での見切りの助けになる事もあるが、ドアミラーだと左を確認する時に助手席に乗った乗客も視線に入り、客が嫌な思いをする事を防ぐ為というのが大きな理由だとか。
しっかしねぇ、ドアミラー確認で視線が向いたのを見て、セクハラだって騒ぐ馬鹿女に限って救いようのないブスだったりするんだよねぇ。10年程前に朝の地下鉄で三越前から乗ってきたモデル体型のミニスカ美女がドアの横に立っていて、次の駅でドアがあいたら突線の突風で、おおっ、と思った瞬間に美女と目があってしまったが、その時彼女はニコッとほほ笑んだ。「あらっ、いやだ。サービスしちゃったかな?」という雰囲気で、いやはや朝からラッキーだった。
これが勘違いのブス女だったりすると、「何あのジジイ、いやらしいぃー」見たいな顔をするのが常だ。アホかぁ!お前が身の程知らすにミニなんか履いて、わいせつ物陳列するんじゃねぇよ!とい気持ちだなぁ。あっ、朝だからブスは女性専用車に乗るからこういう事は起こらないんだっ。そう言えば以前仕事で関係していた一流商社の美人OLさんは女性専用車には乗らないと言っていた。その理由は性格の悪いブス女達だけの車内なんて耐えられない、って。
リアのエンブレムは左下に "JPN TAXI" で、右にはプリウス等でお馴染みのハイブリッドのエンブレムがある。そう、JPN TAXI はハイブリッドだったのだ。ただしエンジンは 1.5L NA だが燃料が LPG というのが如何にもタクシー用らしい。
エンジン型式は 1NZ-RXP (74ps/4,800rpm 111N-m/2,800-4,400rpm) で、これはアクア等で使用されている同じ1.5L の 1NZ-FXE (74ps/4,800rpm 111N-m/3.600-4,400rpm) のプロパン用で、出力は同じながら最大トルクの発生回転数が LPG の方が少し低回転までカバーしている。
タイヤは 185 /60R15 でホイールは当然スチール+キャップだが、上級グレードではアルミ+キャップとなる。はぁ~? アルミホイールにキャップって意味無ぇ~と思うが、アルミを使う目的が見掛けでは無くて軽量化による燃費削減と考えば納得がいく。
まあ日本では初の完全なタクシー専用設計だけあって機能に徹しているのが良~く判る。