B_Otaku のクルマ日記


4月6~10日←  [2019年4月1~5日]  →3月26~31日


---------------------------------------------------------------------

2019/4/4 (Thu)  Toyota JPN Taxi

今の日本でタクシーといえば殆どがトヨタ コンフォート (とロングボディーのクラウンコンフォート) だが、実はコンフォートは 2018年1月で生産を終了している。さてコンフォートの代替えとしては以前からボチボチとタクシーに付かれていたプリウスがあるが、しかしこれはタクシー用として開発したモノでは無く、やはり運用面での欠点もあるために他のタクシー専用車が欲しいところだ。

では日産はといえば、その昔はセドリック営業車がコンフォートとともに2大メジャー車種で、Y31型は何と 1987~2014年という大ロングセラーだったが、もう既に殆ど走っている事も無くなってしまった。それ以後の日産のタクシー用と言えば NV200 タクシーであり、これは NV200 バンをベースにタクシー用としたもので、既に 2015年から発売されている。このクルマは日本よりも寧ろ海外で売れていて、米国ではイエローキャブと呼ばれているニューヨークのタクシーにも採用されている程だ。


そして今回の主役はトヨタ ジャパンタクシー (JPN Taxi) で 2017年10月に発売されている。下の諸元表で判るように JPN Taxi はハイブリッド車である事が特徴だ。

そしてもうひとつの大きな特徴はそのボディーデザインにある。

JPN Taxi のスタイルは明らかにイギリスのロンドンタクシーを手本としているのが判る。

またボディーの大きな特徴として左側ドアがスライド式となっている事で、コンフォートに比べて乗客の乗り降りは極めて容易になった。

例によって次回からはもう少し詳しく各部を見る事にする。

  ⇒ Toyota JPN Taxi <2>





---------------------------------------------------------------------

2019/4/3 (Wed)  平成元年のクルマたち<2>

バブル経済真っ盛りに開発されたクルマ達、今回は2回目として日産車を取り上げる。

Nissan
先ずはクラウンに対抗する国産高級車といえばセドリックだが、実は当時はほぼ同じ双子車としてグロリアもあった。セドリックも当然ながら4ドアハードトップが主流だったが、クラウンが室内に細いとは言えセンターピラーを持つピラードハードトップであったのに対して、こちらは正真正銘のピラーレスハードトップであり、勿論剛性不足はドアを閉めた瞬間にボディがブルブルと揺れる事でもハッキリと判るくらいだった。そんなクルマだから走りは酷いモノだし、税制上から5ナンバー枠に強引に収めたボディーは、車格の割にトレッドが狭く実に不安定なクルマだった。まあこれはクラウンでも言える事だが、セドリックに比べればクラウンの方が遥かにシッカリとしていたのを覚えている。

このように当時の国産車は輸入車に対してマルで歯が立たない事に不満を持っていた上級ユーザーに向けて 1988年に発売されたのがセドリック/グロリア シーマで3ナンバー専用車 として発売され大いに人気を博し、当時はバブルの象徴としてシーマ現象などと言われたモノだった。しかし実はシャーシーはY31と共通で、その証拠に型式が PY31だから、まあバレバレだったのだが、土建屋の社長などはこの V6 3L ターボ 255ps の最上級グレード (472万円) にご機嫌だったのを思い出す。

それではトヨタ セルシオに対抗する日産車はというと、これはインフィニティ Q45 で、シーマの翌年 1989年に発売された。このインフィニティというのは米国で高級車ブランドとして展開したもので、トヨタのレクサスとの競合となっていた。しかしこの Q45 は日本の伝統を表現するなど妙に凝った思想が裏目に出てレクサス LS にボロ負けし、1993年の MC では特徴的なグリルレスのフロントフェイスを大幅に変更したが、結局はレクサス LS の成功とは裏腹にマイナー車のままで終わってしまった。

そしてベストセラーのマークⅡに対抗するハイオーナーカーとしてはローレルであり、これもセドリック同様にピラーレスのグニャグニャボディだが、マークⅡ程では無いにしてもそれなりの人気で結構売れていた。

またカリーナED への対抗策としてはプレセアがあったが、これは ED に比べればマルで売れていなかったような覚えがある。

ではオフロード 4WD 車はどうだろか。先ずはランクル 80 に対抗するフラッグシップモデルとしてはサファリがある。しかしこのクルマ、80 がオフロードの高級車的出で立ちであったのに比べて、走破性抜群の本格的オフロード車であり、世界の極地で使用され軍用としても有名だった。湾岸戦争当時は "UN” と書かれた国連軍の白いサファリ (海外名はパトロール) が頻繁に海外ニュースに出ていた。

まあそんなクルマだから余程のマニア以外は手を出さないし、ボディの基本は古い4ナンバーサイズに手を入れただけだから室内は狭いし、80に負けるのは当然だった。とはいえこんなクルマも当時の街中では結構見かけたくらいで、いやまあ良い時代だったなぁ。

そしてトヨタ ハイラックスサーフのライバルはテラノであり、実は米国でもパスファインター(テラノ) とフォーランナー (サーフ) は人気のライバルだった。テラノはサファリと違いそのお洒落なスタイルではサーフに勝るくらいで、人気が出た2代目サーフ (1989年) よりも3年も早い1986年に発売された事でも、日産車としては大いなる先進性のあるクルマだった。なお、サーフがハイラックストラックをベースとしていたのと同様で、テラノのベースはダットサントラック (D21) で、これはテラノの型式が WD21 である事でも判る。

そのテラノも結局はトヨタの後出しジャンケンに負けてしまうのだった。そしてこの頃からトヨタとの差は益々開いてしまい、1998年には約2兆円もの有利子負債を抱え経営危機に陥ってしまい、結局現在のようにルノー傘下になってしまったのだった。

次回はバブル自体には大した勢いだった三菱自動車編をお送りする。
  ⇒ 平成元年のクルマたち <3>





---------------------------------------------------------------------

2019/4/2 (Tue)  起亜車のラインナップ<2>

起亜自動車のラインナップとして第1回後に大分日にちが開いてしまったが、今回は第2回として SUV とミニバンを纏めてみる。

Stonic
ストニックはBセグメントの小型 SUV でヒュンダイ コナとは兄弟車となっている。

Sportage
スポルテージはストニックの上位となる小型 SUV で4代目とな現行モデルはヒュンダイ ツーソンの兄弟車で、2015年に発売されている。

Sorento
ソレントは3代目が 2015年に発売された中型 SUV で、初代は 2002年に発売された三菱 パジェロベースのクルマだった。主として欧米市場をターゲットとしている事もあり、ドイツと米国のデザインスタジオでデザインされたボディーを持つ。エンジンはヒュンダイブランドの SUV であるサンタフェと共有している。

Telluride
テルライドは発表されたばかりの新型車で、ソレントをベースとするが3列7人乗りで米国で生産され、デザインも米国風となっている。

Carens
カレンスは小型 MPV (ミニバン) で現行モデルは2013年に発売された3代目である。プラットフォームは起亜 K3 と共通という事はベースはヒュンダイ エラントラという事になる。

Sedona
セドナは韓国ではカーニバルという MPV の海外向け名称だ。現行モデルは 2014年に発売された3代目でプラットフォームは新設されている。全長 5,115㎜ x 全幅 1,985㎜ というサイズからも判るように主として海外向けで、オーストリアでは安価で多人数が乗れると人気がある。

結局起亜車の殆どはヒュンダイ車との兄弟車であり、ブランドを分ける事に何の意味があるのか判らないが、まあワイドセレクションという事か、それとも旧起亜の利権などが絡むのか?

ただし、デザインとしてはヒュンダイブランド以上にパクリが多く、世界的にも批判の対象となっている。




---------------------------------------------------------------------

2019/4/1 (Mon)  平成元年のクルマたち

5月1日からの新元号が「令和」と発表されたが、さてここでは昭和から平成に変わった 30年前 (平成元年、1989年) のクルマ達を思い出してみる。

Toyota
トヨタの高級車といえばセンチュリーを別格すればクラウンで、1987年に FMC された S13 型だった。当時はバブル経済真っただ中であり、クラウンは無意味なハードトップが主流で、国産丸出しの演歌調クラウンはクルマ好きにとっては恥ずかしさの極めだった。

実はこの年の10月に米国ではレクサスの最上級車 LS の国内版であるセルシオが発売された。しかし多くの日本人はその事を知らず、セルシオ?何それという状態で、勿論中小企業の経営者も多くはクラウン一託だった。

次にハイオーナーカーといえば当時のベストセラーであったマークⅡを忘れてはいけない。1988年に FMC された 6代目 X80 はバブル時代らしく豪華さでは歴代ナンバーワンだった。写真左下のグランデという上級グレードが売れ筋で、当時の価格は 210万円だったが、多くの国民がこれを買う事が出来た正に一億総中流時代だった。

しかし多くの国民がハイオーナーカーを買える時代だったからその下の小型車は既に人気が無く、特にトヨタを代表するコロナの人気には陰りが出ていた。そんな中でセリカをベースとして4ドアピラーレスハードトップとしたカリーナ ED は大いに人気で、初代は 1985年に発売され、平成元年 (1989年) の9月に2代目へ FMC された。カリーナ ED はスタイル重視の為に後席が極端に狭くピラーレスの為に剛性不足がハッキリと判るくらいで、クルマ好きからすればこれこそ恥ずかしさの極み的クルマだったが一般庶民には大いに受けて、街中には正にウジャウジャと走っていた。価格は 135万円からと買い易く、正直言って当時マトモに働いていれば誰でも買える金額だった。

バブル時代には最近の SUV ブームのルーツとも言うべき現象として、本来役場や警察が使うような大型の 4WD車を一般市民が買うブームもあった。中でもマニアの一番人気は1989年の FMC で 80 となったランドクルーザー (通称ランクル80) だった。しかし一番人気の VX リミテッドというグレードは 369万円もしたし、4.0L エンジンの税金など維持費も大変だった。

そこでランクル80 よりは敷居の低いクルマとしてハイラックス サーフ (通称サーフ) が若者に人気だった。当時はサーフを買って、職場の男女2人づつが1台に乗り合わせてスキーに行って、その内カップルが出来ると2人のデートカーとして使われ、目出度くゴールインという例が多かったのを覚えている。尤もその当時の美人 OL も今や初老のオバちゃんだし、サーフオーナーだったイケメンの兄ちゃんは定年が近づいている腹の出たオッサンになっているが‥‥。

サーフは一見ランクル 80 の弟分的なスタイルで価格は人気の SSR リミテッドが 227万円という買得価格だった事も人気の秘密だったが、何を隠そうベースは小型ボンネットトラックのハイラックスであり、足回りも本格的なオフロード専用サスのランクル 80 に比べればトラックそのもの等の突っ込み処はあったが、ミーハーの兄ちゃんはこれで充分に満足だった。

次回はニッサン編をお送りする。
  ⇒ 平成元年のクルマたち <2>





4月6~10日←  [2019年4月1~5日]  →3月26~31日