B_Otaku のクルマ日記


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2018/10/31 (Wed)  Porscha Cayenne <3>

ダッシュボードは新時代のポルシェというべきか、トップが低めで水平線を強調している。しかしセンタークラスターは高い位置からコンソールに繋がるのは従来通りではある。

そのセンタークラスーには大型のディスプレイがあるのみでエアコンやオーディオ類のパネル等は無い。

ダッシュボード右端にはエンジンスタート用のレバースイッチはあるが、ポルシェの定番、いやドイツ車の定番だった回転式のライトスイッチが無い!その代わりに4つの押しボタンスイッチが見えるが、要するに殆どの場合に "AUTO" で事が足りるのだろう。

コンソールのスイッチ類は写真のようにイグニッションがオフの状態では真っ暗けで何が何だか判らない。この辺も従来のポルシェとは全く異なっていて、大幅なハイテク化がなされているようだ。

また AT のセレクターレバーは BMW のような電子式らしく、という事は来年辺りにお目見えとなる新型 911 もこうなってしまうのだろう。何やら益々寂しいものがある。

正面にはポルシェの上級モデルの証しである5連メーターがあるが、中央の回転計以外のメーター類はカラー液晶ディスプレイを使用したハイテク (CG) タイプのようで、これまた新世代のポルシェという事だ。

ペダル類は例によってアルミスポーツペダルが標準となっている。

この新型カイエンだが、この写真を取っていたら既に外は暗くなってしまって、流石に知らない土地で知らない道を、この馬鹿デカイ SUV を試すには条件が悪過ぎるという事で、またの機会に譲る事にした。

まあ病み上がりと年齢という事もあるのだが、しかし自分よりも年上の団塊世代である小田和正氏は、全国ドームコンサートを行うそうで、そのチケットは発売時間と共に電話してもお話し中で、やっと電話が繋がった時には既にソールドアウトだとか。この辺は公演直前に空席が目立つ、話が違うと言ってドタキャンした何処かのチンピラジジイとは格が違うという事だろう。





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2018/10/30 (Tue)  1960年代の国産車<11>

今回は小型車ベースのスポーツタイプの中でもDOHCエンジンを搭載した本格的なモデルを取り上げてみる。これらに共通するのはバルブ機構が DOHC であると共にキャブレターにはソレックスツインチョークタイプを6気筒なら3個、4気筒なら2個装着して、事実上各気筒に1個の気化器を配していた事である。

これらの中でも極めつけはスカイライン 2000 GT-R で、これこそが初代の "GT-R” であり、初期型モデルでは何と4ドアセダンのボディにレーシング専用モデルである R380 のエンジンをデチューンして搭載したモノだった。

そのボンネットの中のエンジンを見ればマニアなら涎もので、下の写真のエンジンもマニア達の涎ほの跡が各部に付いている‥‥とう事は幾ら何でも有り得無いが‥‥。ただしこのエンジンは流石にシビアで、少し走っただけで2×3のキャブレターのバランスが崩れてしまい、一般オーナーでは本来の性能が発揮されないままで乗っている、何て事が多かった。それもその筈で、サーキットユースならレースの前に毎回精密な調整をするから問題は無いのだが、それと同じモノを公道で使うのに無理があるのだった。

このクルマの魅力は外観上は普通の4ドアセダンであり、そのボンネットの中にレーシングカーのエンジンが入っているという、正に「羊の皮を被った狼」そのものだった事だ。

60年代のトヨタブランドの ”GT”といえばトヨタ 2000GT だが、こちらは 1600GT という車名でトヨタとしては 2000GT の弟分という位置付けにしていたが、見てのとおりでベースはそのまんまコロナハードトップ (RT50) であり、これをベースにヤマハにて DOHC化された 4気筒1.6L 9R型エンジンを搭載していた。ちじみ塗装されたカムカバーを持つ DOHC エンジンには当然のようにソレックスツインチョークキャブレターが2連装されていて、これは前記の GT-R 同様にこの手の本格スポーツモデルの "お約束" 的なものだった。

とはいえ、ベースはコロナだからリアサスはリーフリジットだったりと、ライバルに比べるとイマイチだったが、発売時期が1967年とライバル達よりも早かった事もあり、それなりに話題となったが、実際に街中で走っているのを見た事は無かった。そして製品寿命も短くて、発売から2年後の1969年1月には製造中止となってしまった。

1966年のジュネーヴ・モーターショーで発表されたジウジアーロによるデザインの極めて美しいプロトタイプを市販化したのがいすゞ117クーペで、初期型はこの美しいラインを出す為に全て職人によるハンドメイドで作られていた。その為に価格は172万円と、同クラスの他車と比べても極めて高価だった。とはいえそれだけの値打ちは充分にあり、機械プレスでは出しえない微妙なラインや、フェイクレザーとはいえ当時の常識を覆す高品質なシートや、磨き上げられた本物のウッドパネルには精密そうなメーターが並び、ステアリングホイールも磨き上げたウッドという、英国製の高級スポーツカーを髣髴させるモノだった。これは見えない部分、例えばトランク内のカーペットも室内と同じ高級な物が標準となっていたりと、本気で手を掛けた職人仕事が魅力だった。

エンジンはトヨタ1600GTと同タイプの4気筒1.6L DOHC エンジンにソレックスツインチョークキャブレターの2連装という定番のものだった。そしてリアサスはというと、外観の割にはリーフリジットだったりするが、その割には乗り心地も良かった。ただし操舵特性はドアンダーで操舵力も相当重かったから女性ドライバーにはチョイと厳しかったようだ。

ところが1973年からはプレス設備等を導入し本格的な量産化により、価格は100万円程度と一気に値下がりした覚えがあるが、この量産モデルのラインは明らかにハンドメイドとは異なっているし、室内の品質も多少落ちていた。

最後は 1970年1月に発売されたので厳密には60年代では無いが、三菱のギャランGTOシリーズのフラッグシップモデルとして MR というグレードがあり、これが 1.6L DOHCにソレックスキャブレーターを備えた本格的なスポーツモデルだった。

ギャラン GTO の特徴は当時人気の米国車で、映画ブリットに登場したフォードマスタングに似ていた事で、今比べても確かに雰囲気は似ている。

スカイラインGT-Rの6気筒は別格としても、1.6L 4気筒の DOHC エンジンが3車種もあったのは驚きで、当時は欧州車でも 1.6Lクラスで DOHC といえばアルファロメオくらいだった時代で、この時代の日本メーカーの気合を感じられる。

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2018/10/29 (Mon)  Porscha Cayenne <2>

リアゲートのナンバープレートの上にある "ひさし" の真ん中辺のスイッチらしきものを押してみたらば、ゲートは電動でスーっと開いた。まあ一千万円超のクルマだから当然だし、また閉める時もゲート下端のスイッチのそれらしきものを押せば良いのは BMW 等と同じだ。 えっ、フォレスターだって同じの付いてるぞ、って‥‥あっ、そっ、そうだったっけ?

それで肝心のラゲージエリアはというと、先ず幅については当然ながら広い!まあ車幅が2mもあれば広くて当然だが。

では奥行きはといえば‥‥勿論長い。これも全長4,911㎜ だから、そりゃ奥行きは深いでしょうよ。

カイエンSの標準ホイール&タイヤは、FR: 8.5J x 19ET47 255/55ZR 19 XL、RR: 9.5J x 19 ET54 275/50ZR 19 XL となる。

ブレーキは例によってアルミの対向ピストンキャリパーであり、フロントは6ポット、リア4ポットと流石にエンジンが前にあるからポルシェと言えども前後のブレーキの大きさが大いに違う。

室内は如何にも高級 SUV らしさを感じるもので、伊達に高い訳では無い。内装色も落ち着いているが華やかだ、何てベタ誉めしたが、スバオタさんからみればフォレスターのブラウンレザーだって似たようなものだ、と言いたいところだろう。

シ―トのポジション調整は当然から電動式だが写真の標準シートに加えて高価はオプションも用意されていて、中にはスイッチだらけで一体何をそんなに調整するんだい、というのもある。

シートのレザーも如何にも室が良さそうで、それでいて丈夫そうだ。センターには勿論通気孔が開いているが、子供がゲロを吐いたりしたら後の掃除が大変そうだ。

ドアのインナートリムだって、そりゃあ高級感に溢れている。以前のポルシェと言えば「こんなに高いのに、このショボさは何なんだ」という感じだったが最近は価格なり、ブランドなりになってしまってイマイチ寂しさも感じる。今や普通の金持ちが普通に選ぶ高級ブランドに成り下がってしまったようだ。

操作部分を拡大すれば、やっぱり金が掛っている。

つづく




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2018/10/28 (Sun)  1960年代の国産車<10>

今回も引き続き60年代のセダンをベースにしたスポーティークーペを取り上げる。内容は最初に前回に取りこぼしていた小型車ベースのコンテッサクーペ、そして残りは大衆車クラスのセダンをベースとしたクーペ3車種とする。

日野のリアエンジンセダンであるコンテッサをベースにしたコンテッサクーペは、その優雅なスタイルで当時は他を圧倒していた。それもその筈でデザインはミケロッティが手がけ、イタリアのコンクール デレガンスで複数年に渡り4度の賞を受賞したというものだ。ただしエンジンは 65ps と見掛けの割には非力だったが、フロントには国産車初のディスクブレーキを採用していた。これは曙ブレーキ工業がベンディックス社と技術提携して国産化したもので、今のように丸いピンをスライドする(ピンスライド) では無く、平面に研磨した摺動面をスライドする (面スライド) という方式のモノだった。

大衆車クラスのセダンを基本にしてクーペ化した最初は日産 (当時はダットサン) サニークーペで、勿論サニー1000 をベースにクーペ化したものだ。サニークーペのエンジンンはセダンをベースにツインキャブレターにより 60ps (セダンは56ps) を発生した。とはいえ動力性能は大したことは無く、当時のサニークーペはマニアからすれば見掛けだけのナンパ車という烙印を押されていて、ハッキリ言って馬鹿にされていた。動力性能に加えてブレーキもこのクラスでもスポーツ仕様はフロントにディスクブレーキが付き始めた時期に4輪ドラムブレーキというスペックも見劣りがした。

サニークーペが発売された1か月後にはトヨタがカローラをベースにファストバッククーペとしたカローラ スプリンターを発売した。セダン同時でもスポーティーなスタイルと言う面ではサニーに勝っていたカローラだが、これをベースにより曲線的なルーフラインでサニークーペに差を付けていた。ただし、これが原因でスプリンターの後席は頭上空間が狭くて実用性は低かったが、スタイル優先のトヨタの目論見が見事に実を結んで、ここでも人気では日産に差を付けて行った。

カローラは 1965年のマイナーチェンジでそれまでの 1100cc から 1200ccへと排気量がアップされ、更にカローラとスプリンターにはスポーツモデルとして SL (Sporty and Luxuly) というグレードがあり、1.2L ツインキャブ 77ps というエンジンにより、これまたサニークーペよりも明らかに速かった。しかもフロントにはディスクブレーキも装備していて、内装もウッド風 (結構プラスチック丸出しだったが) ステアリングやフルリクライニングのバケットシート (見掛けだけだが) など、庶民の心を実に上手く見抜いていた。この1.2L SL は当時1年くらい乗っていたが、ブレーキは効かないしチョッとした路面の繋ぎ目でステアリングを取られるし、勿論アンダーステアも盛大だった。

フロントにディスクブレーキを使ったのに何故に効かないのか、という疑問もあるだろうが、実はディスクブレーキにはドラムブレーキの様な自己倍力機能が無い為に、ブレーキの倍力装置が必要だったのだが、当時の日本の技術ではこれが上手く無く、結局踏力ばかり必要だから急ブレーキでは思ったように減速出来なくて冷や汗をかくのだった。

そして最後はファミリア クーペだが、そのラインナップにはコスモに続くロータリーエンジンを搭載して、しかも高価なコスモと違って一般人でも買える価格帯というのが画期的なローターリークーペがあった。実はこのクルマにも発売と同時に試乗したのだけと、確かにウルトラスムースだし、踏めばあっという間にヤバい速度に達するのは感動モノだったが、アクセルを放してもエンジンブレーキは全く効かず、しかもブレーキも効かないから結構恐ろしいクルマであり、これぞ直線番長の本家みたいなモノだった。

今回の大衆車クラスのスポーツクーペは、なんだかんだと言っても当時は50万円代で買えるというメリットもあり、その割にはある程度のスポーツグレードらしき性能や雰囲気を味わえるという点では実に有意義なクラスだった。

次回は羊の皮を被った狼。DOHC エンジンを積んだ高性能だが、見掛けがセダンやそれをベースとしたクーペという、これぞ当時のマニアが憧れたクルマ達を取り上げる予定だ。

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2018/10/27 (Sat)  Porscha Cayenne

ポルシェの SUV 、カイエンが FMC され日本でもデリバリーが始まったのが今年の7月末ころだった。しかしこの時期の B_Otaku 様はと言えば退院後2か月経過くらいで、とれもこれを取材に行ける状態では無く、結局3カ月程が経ってしまった。それでもうこのまま知らばっくれてしまおうか、とも思ったが、他のサイトを見ると最近増えてクルマに関する商業サイトでもメーカーの公式写真を使ったようなものが多く、内装は如何見ても欧州仕様じゃねぇっ? という感じで、それならば当サイトの原則としてオリジナル写真を使うという方針に乗っ取って、じゃなくて則って例によっての内外装写真の公開をやってみた。

今回のモデルはカイエンS で価格は1,288万円也。先ずはボティをフロント側から眺めると、これはもう例によってのキープコンセプトで「何処が一体新しいんだ」という気持ちになる。しかしこうやって現物を室内でみると、その馬鹿デカさは半端ではない。

リアは新型の特徴である左右に繋がった細長いリアコンビネーションランプで、成る程公式写真に出てたのと同じだ。って、当たり前だろ。

全幅は 2,194㎜ と遂に2mを超えてしまった。全高は1,696㎜ もあるが、まあ幅が広いから目立たない面もある。

前述のようにリアコンビネーションランプが大きな特徴となっている。排気管は左右からの4本出しで、ポルシェのブランドに恥じないものだが、言い換えればこの馬鹿デカさとブットいマフラーは、このクルマが只モノでは無い事を漂わしている。勿論ドライバーも只モノでは無いだろうから、正しい市民は近付かないのが無難だ。

フロントヘッドライトは Porsche Dynamic Light System (PDLS) とかいうハイテクを使ったお利口さんなヤツで、LED マトリックスなんチャラという最新鋭システム! (らしい)

馬鹿デカいボンネットフードを開けるのは重くて大変だ、何て事は無く強力なダンパーのお陰でチョイと持ち上げればフワ―と開く。余りにもフワ―とするので「うーん、こりゃ未だ脳出血の後遺症が残ってるなあ」何て思う‥‥訳は無い。内部は殆どがカバーで覆われていてエンジン本体どころか補機類も完全に隠れている。

エンジンカバー上のエンブレムには「2.9 V6」と書かれているように、このエンジンは 2,894cc 440ps/5,700 - 6,700rpm 550Nm/1,800 - 5,500rpm という性能だが、500ps 以下と言うのはポルシェとしてはそれ程の高出力でもない。って、なんちゅう世界なんだ。

次回はリアラゲージルーム、ブレーキ、そしてインテリアと進んで行く。

つづく






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2018/10/26 (Fri)  1960年代の国産車<9>

前回までの60年代のスポーツカーは2シーターの専用ボディを持つものだったが、今回は量産セダンをベースにクーペやハードトップなどのバリエーションとして、更には多少のチューンナップで性能にも差別化を計ったタイプのクルマを取り上げる。

今回の4車種はべレット、コロナ、ブルーバード、スカイラインという何れも人気の小型セダンをベースにしたもので、これらも当時のクルマ好きからすれば憧れのクルマだった。

最初にべレット GT を取り上げたのは、このクルマが 1964年4月発売だからコロナ ハードトップよりも早いことが理由だ。べレットセダンをベースとして2ドアクーペ化したボディと、1.6L に拡大してツインSU キャブにより90ps の出力を発生し、セダンとは一線を画する性能のべレットGT は、当時のマニアの間では「ベレG」と呼ばれるメジャーな存在だった。ミッションはフロアシフトの4MTであり、これはこの後発売された他社のスポーツクーペも同様の必須装備だった。

今回は室内写真は掲げていないが、今回の4車種がセダンと違う大きな点としてメーターには速度計と共に回転計が備わっていて、さらに小径メーターはセダンの場合は水温計と燃料計だけだが、油圧計と電流計も付いていた。またシートはセパレートのフルリクライニングタイプというのも定番装備であり、ステアリングホイールも3本スポークの革巻きやウッド(風)だった。

と言う事は、セダンの場合は3速コラムシフトとベンチシートという、何ともスポーツカーとは縁遠いタイプが多かったという事だ。

次のコロナはベースとなる T40 がライバルのブルーバード 410 の SSS (スーパースポーツセダン) の成功によりスポーティーイメージを確立していた事。これに対してトヨタも対抗する為に、ボディーのスポーティー化として日本初のピラーレスハードトップを加え、ハードトップS ではエンジンも1.6L にツイン SU キャブというブルーバード SSS やベレ G 並みのスペックとしたものだ。とはいえ、リアサスはリーフリジットであるなど他社に比べて遅れたサスが痛かったが、それでもフロントにはディスクブレーキを装着するという、これまた他社のスポーツ系に追従していた。

ブルーバードは 411 でスポーツイメージを確立した後、1967年に 511へと FMC が行われ、この SSS こそ名車の誉れ高いもので、リアにはセミトレーリングアームによる独立懸架を採用し、エンジンは新設計で SOHC 1.6L の L16 を搭載するなど、コロナには大いに差を付けいる。

しかも60年代後半からのサファリラリー出場や総合優勝など、更にスポーツイメージが高まって行った。このサファリラリーと、それを題材にした石原プロの劇場映画「栄光への5000キロ」に関しては姉妹ブログを参照願いたい。

1966年に日産と合併したプリンスが開発していた次期スカイラインは 1968年に日産スカイラインとして発売され、これには4気筒 1.5L に加えて 6気筒2.0L を搭載する GT がラインナップされていた。更には2年後の1979年にはコロナ ハードトップのようなピラーレスのスカイライン ハードトップを追加発売した。このスカイライン GT は通称「スカG」と呼ばれ、取り分けハードトップモデルはマニア以外のミーハーなクルマ音痴にも人気があり、脳足りんのネーちゃんからも憧れのクルマだった。

しかしそのエンジンはセドリックから転用した実用エンジンで、しかもセドリックそのままのシングルキャブレター仕様だから、GT の名程の動力性能は得られていなかった。では何故にこのスカGがそれ程スポーティーイメージを持ったかと言えば、ラインナップにプロトタイプレーシングカーである R380 のエンジンをデチューンした6気筒 2.0L DOHCの S20 を搭載した GT-R が存在したからで、この市販 GT-R をベースとしたレーシングモデルは当時の日本のレースシーンで大活躍した為だった。これって M5の存在が5シリーズのイメージアップとなった BMW E60 みたいなものだが、日産は半世紀も前にこの手法で、セドリックのボディを積んだだけの名ばかりGTを高性能イメージにして大ブームを起こすという商売上手だったのだが、どうもその後はこの成功体験を上手く活かし切れていないようだ。

次回も残る同クラスのスポーティーモデルを取り上げる。う~ん、やっぱりあの時代は良かったなぁ‥‥と、高齢者が戯言を申しております。

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