B_Otaku のクルマ日記


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2018/10/25 (Thu)  1960年代の国産車<8>

今回も前回に引き続き 60年代のスポーツカーを取り上げる。最初の2車は800cc の軽量級スポーツ、そしてマツダが誇る世界初のロータリーエンジン搭載車、さらには日産の元祖パーソナルカ―の4車種だ。

ホンダが小型オープンスポーツカーの S500 を発売したのが 1963年4月で、1年後にはS600となった。S600 は水冷直列4気筒 606cc DOHCエンジンと4連キャブレターにより57psを発生する。と言う事はリッター当り100psに近いレーシングカー並みの高性能高回転型スポーツカーだった。その S600 は更に2年後の1966年には排気量を拡大して S800 へと進化した。それでも800ccという小さなエンジンだが、最高出力70psは8,000rpm という高回転域で発生しているが、この辺がホンダの得意とするところで正にレーシングエンジンだが、実はこれは寧ろバイクのエンジンのテクニックだった。

このクルマは通称「エスハチ」と呼ばれていてマニアに人気があったが、価格は75万だからブルーバード等の1500cc 級小型車並みであり、しかも大人二人がやっと乗れる位で実用性は無いから、結果的には結構贅沢なクルマだった。なお S800 の外観は S600 と殆ど同じだが、ボンネット上のコブが S800 の特徴だった。更に S600 と S800 にはクーペもあったが、これは殆ど走っているのを見た記憶が無い。実は当時通っていた中学校の近所にホンダディーラーがあって、帰りにクルマ好きなガキ仲間が立ち寄るとそこにはエスロクが置いてあって、皆勝手に運転席に座ったりしていた。そんな姿を見てもディーラーのメカニックは文句一つ言わないどころか、エスロクの自慢話までしてくれたという何とも良き時代だった。

その S800 のライバルはトヨタ スポーツ 800 で、エスハチに対して「ヨタハチ」と呼ばれていた。何やらよたよたしているような俗称だが、エスハチの超高回転型エンジンに比べて国民車のパブリカ用の空冷水平対向2気筒を多少チューンした程度で、最高出力もエスハチの70ps/8,000回転に対して 45ps/5,400rpmと数字だけ見ると悲しくなる値で、まさによたよたしているイメージだった。ところがヨタハチのボディは軽量で曲線を多用した事から走行抵抗も低く、非力なエンジンを助けて想像以上に良く走ったという。価格は約60万円だからエスハチよりも20%も安かったのは大衆車のエンジンを流用するという事が効いていたのだろう。

次のネタはというと、マツダが市販車として初めてロータリーエンジンを搭載したコスモスポーツでそのスタイルは当時としては未来的で、後のコスモと区別する上では通称「円盤コスモ」と呼ばれている。491cc X2のツーローターロータリーエンジンは 128ps/7,000rpm という高出力で、しかも小さなエンジン故に低いボンネットが可能で、この為に円盤スタイルが実現できたのだった。しかし当時 158万円とと高価で、実用性の無い道楽グルマにこれだけの出費が許されるユーザーは極めて稀だった。

今回の最後は日産の高級パーソナルカ―であるシルビアで、後のシルビアに比べてこの初代は結構な高級路線で、その割には CP311 何ていう型式から想像できるようにスパルタンな初代フェアレディをベースとしたもので、優雅な外観とは裏腹に硬い乗り心地とうるさい走行音、しかも 1.6L だから 2.0L (SR310) 程の動力性能も無く、それでも価格は 120万円とフェアレディ Z-L よりも高いという、まあ売れなくて当然のクルマだった。

今考えてみると、当時は夢があったなぁー。それで今回までは2シーターでバリバリのスポーツカーだったが、これは価格以前に使い道という高いハードルがあった。そこで考えれるのがスポーツセダンの部類で、次回は60年代のスポーツセダンを取り上げる。

乞うご期待!

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2018/10/24 (Wed)  1960年代の国産車<7>

前回までに60年代の国産実用車を概ね網羅できたので、今回からはいよいよクルマ好きの本命であるスポーツカーを取り上げる事にする。スポーツカーの定義をどうするかというのも難しい問題だが、今回は2シーターでセダンとは全く異なるボディーを持ってるものを選ぶとして、その中でも極めて高価だったとか、性能が良かったとか、まあそういう特殊性のあるクルマを4車種選んでみた。

最初は1962年に発売され、当時の価格が何と185万円もしたというプリンス スカイラインスポーツ クーペを選んでみた。エクステリアは吊り目4灯のイタリアンスタイルで、殆どハンドメイドだったことから、こんな値段になったのだろう。実際に販売された数量は 60台程度といわれている。

しかし、その斬新なスタイルとは裏腹に、性能は大した事は無く、オリジナルのスカイラインセダンと共通の 1.9L G4 エンジンの為に上の一覧表のパワーウェイトレシオで見れば他の3車に比べて酷く見劣りがする。まあ性能的にはコストパフォーマンスはえらく悪い事になる。

そして次は1967年発売のフェアレディ 2000、というよりも型式の SR311 で呼ばれる事が多い走り命のクルマで、その面ではスカイラインスポーツとは対照的なクルマだ。性能は当時のクルマとしては飛び抜けていて、何とあの名車であるトヨタ 2000GT と性能では同等 (ステータスや見た目はマルで違うが)なエンジンを軽量なオープンボディに載せたのだから性能が良いのも当然だった。これに5速MTを組み合わせる事で、ゼロヨンは何と15秒台という当時としては途轍もない高性能だったが、その代償としてエンジンも乗り心地もスパルタンであり、まあ余程のモノ好きしか買わなかっただろう。 価格は91万円とトヨタ2000GT の3分の1だった。

さていよいよトヨタ 2000GT の登場だ。日本の自動車史にさん然と輝く高級スポーツカーであり、238万円という価格や、直6 DOHC エンジンに4輪ディスクブレーキ、ウッドパネルにズラリ並んだメーター類など英国製高級スポーツカーのような雰囲気を持つ、正に庶民のクルマ好きからすれば遠い雲の上の存在だった。英国製といえば成る程当時のジャガーEタイプに似てはいるが、まあフロントに大きなエンジンを積んで、重量バランスを前後イーブンに近くすれば必然的にこのようなスタイルになるのだが。

トヨタはこの 2000GT でタイムトライアルに挑み、2000cc 以下のクラスでことごとくポルシェの記録を破ったのだった(まあ、直ぐに抜き返されたが)。このトヨタ 2000GT は希少価値から今では飛んでもない高価格で取引されているという。いや品物自体が殆ど出てこないとは思うが。しかしこのクルマを中古車買い取り屋のアンちゃんに査定させたらどうなるだろうか。「年式が古過ぎて査定付かないんっすが、数万円なら何とか」何て言うんじゃないかぁ (爆笑

そのトヨタ 2000GT の発売から2年程遅れて日産からフェアレディZ が発売された。下の写真でも判るようにトヨタ 2000GT と比べてもそれ程引けをとらないロングノーズのスポーツカースタイルで価格は何と上級の Z-L でも 105万円という驚くべきコスパの良さで、爆発的な人気となったのは今さら言うまでも無い。だだし2000GTの光輝くDOHCエンジンでは無く、セドリックなどでお馴染みの L20 という実用エンジンだが、それはまあ2倍以上の価格差を考慮すれば充分に納得が行く。

実を言えば、Zの発売と同時にディーラーへ行って試乗したのだが、カッコの良さとは裏腹に動力性能はマイルドで、操舵性も車重の重さを感じる鈍重さで、これじゃナンパ用じゃねぇかぁ、何て思ったモノだった。あれっ、何と半世紀前から試乗おたくだったんだ。

Z のバリエーションにはスカイライン GT-R にも搭載されたいた S20 6気筒 DOHC エンジンを搭載した Z432 も追加発売されたが、これならエンジンではトヨタ 2000GT と同等以上で、しかも価格は 182万円とそれでもトヨタ 2000GTよりは安かった。

次回は軽量級のスポーツカーを取り上げる予定にしている。

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2018/10/23 (Tue)  1960年代の国産車<6>

前回の60年代の大衆車で取りこぼしたアイテムが意外にも3つもあり、更にマツダ ファミリアはむしろ1967年発売の2代目が本命であることから、これら4車種を追加する。

ダイハツ コンパーノは1966年発売のサニーとカローラよりも3年も早い1963年に発売されたという事が驚きだが、まあそれ程当時でも注目されなかったという事だ。当時のダイハツはオート3輪のメーカーであり、乗用車メーカーへの脱皮を考えての大英断だったのだろう、

イタリアのコーチビルダー カロッツェリア ヴィニャーレ がデザインしたボディーは今見ると実にイタリアンテイストに溢れていて、これが1963年に発売されていたのは驚きだ。コンパーノは当初は2ドアから始ったが、その後オープンのスパイダーも発売された。それどころかバンとトラックまでもラインナップしたのは流石にオート三輪メーカーだけの事はある。しかし欧州的なモダーンなスタイルとは裏腹に、シャーシーはモノコック化されておらず、トラックのようにラダーフレームであり、実はこれがワイドバリエーションが可能となる秘密だった。

なお、コンパーノはセダンの事をベルリーナと呼ぶというこれまた当時の日本では珍しい事だが、残念ながらこれらは60年代の日本人には理解されず、コンパーノは大いなる失敗作となった。

ファミリアは先代の800が1964年に発売されたから、このクラスとしてはコンパーノに次いで早かったが、1967年には全く新しい2代目を発売した。実はこのクルマにはバリエーションとしてロータリーエンジンを積んだモデルもあるという点では中々歴史的なモデルであり売り上げも結構好調で、街中でもしばしば見かける事が多かった。このファミリアにも商用車が用意されていて、ピックアップトラックまであったくらいだ。そのファミリアトラックは学生時代にバイトしていた電気の組み立てをやっている町工場で運転した経験があるが、何しろメジャーメーカーである日産のエンジンに比べると驚く程にスムースで高回転まで回せるのには驚いたものだった。

次の2車はスバルとホンダという技術力と独創力のあるメーカーらしく、それぞれ全く他社とは違うアプロ―チでのクルマを開発している。スバル1000 は言うまでも無く水平対向エンジンという他社に無いモノを持っていし、ホンダ 1300は空冷の高出力エンジンというホンダらしモノだ。上表の 1300 99 は 100ps の 77 をベースに4連キャブレターの装着等で 110ps という当時としては信じられないくらいの高出力で、しかもこれを4ドアの実用セダンの載せていた。

駆動方式はどちらも FWD で、この時代の他社は当たり前のように RWD だったのに対しても先進性が判る。それで販売はと言うと、スバル1000 はその後進化とバリエーションの追加などで、基本技術は今でも繋がっているが、ホンダ1300は歴史的失敗作となり、結局ホンダが登録車 (軽以外) で成功するのは水冷エンジンのシビック (1972年) の大ヒットまで待つ事になる。

ところでスバルの水平対向やホンダの空冷を見るにつけ、空冷水平対向エンジンを積んだパブリカが、しかもトヨタからスバルよりも5年も早く市場に出ていたのは驚異的で、実はトヨタの技術力や見識は捨てたもんじゃ無かったのだった。

次回は 60年代のスポーツタイプを取り上げる予定にしている。そう、クルマ好きならやっぱりスポーツカーでしょう‥‥ と言う事で。

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