60~70年代のアフガニスタンは街にミニスカの女性も歩く親日の王国だった

 

タリバンによる政権奪取で今最も話題の中心となっているアフガニスタン。タリバンと聞けばイスラム原理主義により極端な女性差別で、外出時に顔を見せてはいけないとか、教育も社会進出も一切禁止、というイメージがある。

ところが、アフガニスタンは長い間王国であり、紀元前4世紀にアレクサンドロス大王が征服したり、紀元前3世紀にはギリシャ人の建てたグレコ・バクトリア王国が支配していたり、その後も長年に渡り幾多の王朝により支配されてきたのだった。

近代では一度は敗れた王家が、1919年にイギリスからの独立を達成し、再度アフガン王家が君主となった。その後も紆余曲折はあったものの、1960年代には国王ザーヒル・シャーが立憲君主制を導入して民主化路線を推進し、日本やイギリスなどからの資本の導入や輸入品の導入を推進するという状況だった。

しかし、1973年にザーヒル・シャーが病気療養のために国を離れた隙を狙い、クーデターが勃発し、王政が廃止され、アフガニスタン共和国が建国された。

実はこの1960~70年代初頭までのアフガニスタンは素朴な王国で親日国家だったのだ。下の埋め込み画像を見ると、ミニスカートの女性が街を歩いていたり、学校では男女が一緒に授業を受けていたりと、実に普通の国だったのだ。


► Hello everyone and welcome back to Mystery Scoop. In today’s video we invite you to watch a collection of perspective altering photos of Afghanistan in the 1960s and 1970s. Some of them may surprise you.
►みなさん、こんにちは。ミステリースクープへようこそ。今日のビデオでは、1960年代と1970年代のアフガニスタンの遠近法を変える写真のコレクションをご覧ください。それらのいくつかはあなたを驚かせるかもしれません。

そして1979年末にソ連がアフガニスタンへの軍事侵攻を開始したことで、その後の混迷が始まったのだった。

この事実を知ると本当に驚いてしまうが、これは日本のマスコミが一切報じていないのが原因で、平和な王国が社会主義者により崩壊して、ソ連が関与した事で今の混迷が始まったという事実。すなわち社会主義がアフガンを破壊した事実をマスコミなどは口が裂けても報じ無いのだった。

 

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です