仁川上陸作戦とは朝鮮戦争中の1950年9月15日に国連軍が韓国のソウル西方約20km付近の仁川(インチョン)へ上陸し、北朝鮮よりソウルを奪還した一連の作戦・戦闘で、マッカーサー元帥により発案された大規模な作戦で、劣勢だった戦況を一変させたものだ。
作戦では仁川港への上陸を行う前の前哨戦として、仁川港の前に位置する月尾島の占領が必要であった。このため空母から出撃したF4Uがナパーム弾を投下したため、民家、倉庫の多くが焼失し、島は焼き払われた。
その後国連軍は月尾島に上陸し、島は45分で確保された。これにより次の仁川港への上陸も敵の抵抗を殆ど受けずに成功した。
もしもこの作戦が無かったら、今頃韓国という国は無かったかもしれない、という程に重要な作戦だったが、それから50年以上経過した2011年に月尾島に居住していた住民および相続人らが、国連軍の攻撃により死亡もしくは離郷を余儀なくされたとして、韓国国防部と仁川市、米国政府、国連に対し総額1億3500万ウォンの損害賠償請求を求める訴訟を起こしたが、後に敗訴した。
と、ここまでの経緯を踏まえた上で、今回の「事件」を整理する。
それは7月1日、仁川市が市民へ公開した複合歴史文化空間「仁川市民愛の家」が、仁川上陸作戦の意味やマッカーサー元帥をおとしめる絵画・説明を展示し、物議を醸しているものだ。
その展示ポスターは「(仁川上陸作戦)勝利の裏で、月尾島や仁川市内の無差別爆撃により無力な民間人が抹殺された」という記述とともに、パイプをくわえてほほ笑みを浮かべるマッカーサー元帥と、みすぼらしい身なりの避難民の姿を対比させた絵がある、というものだ。
流石に韓国でも「市の予算が投じられ一般市民へ公開する施設に、こんな絵や本文内容は適切ではない」として、展示を変更するらしい。
しっかし、ねぇ。この作戦のお陰で韓国が存在しているし、米軍始め国連軍の兵士が命をかけて北から韓国を守ってくれたのに、それをこういう形で表現するっえのは‥‥まあ、あの国なら驚く事では無い。
マッカーサー元帥もあの世では、非韓三原則に徹しなかった事を悔やんでいるだろう。
おやっ、市がこういう極左的な展示物を展示するというのは、何処かで覚えがあるぞっ。
そうだ、愛知トリエンナーレだ。そのやり方といい、センスといい、マルでそっくりだ。
やっぱりねぇ。
コメントを残す