東京五輪のパブリックビューイング(PV)、要するに会場を作って大型ディスプレイを皆で見るというものだが、ハテ、一体何のためにやるのだろうか?
大型ディスプレイの迫力ある映像、とか言っても、技術の進歩で今や一般家庭でも40インチクラスのディスプレイは当たり前。これを近くで見ていれば十分に迫力はある。
しかしPVならみんなで盛り上がれるぞぉ、とか言いたいだろうが、大声禁止でマスクして隣との距離をとって、ただただ大型ディスプレイを見る事に何の意義もなさそうだ。
そんな状況で、東京都ではPVの開催を中止するという話が出ている。そしてその会場予定地はワクチン接種会場に転用する検討に入っている、と報道されている。
さてこのPV、一番やりたいのはこれを請け負うイベント屋だろう。大型ディスプレイや音響設備をレンタルし、これらと共に会場の設営などを一気に請け負うのは、当然ながら、あの‥‥で ん つ - だろう、ねぇ。
また、世界中の殆どの人々はテレビ観戦の筈なのに、何故に僅かしか枠の無い会場での観戦に拘るのか、といえば、これまたチケット屋の利権があるのだろう。そして、広告代理店は最前列に大会関係者の席を設けて、クライアント企業の偉いさんをスタッフという事にして、最前列での観戦をプレゼントすれば、これは大いなる接待となり‥‥目出度し、目出度し。
ところで、マスコミは今回の東京五輪を「東京五輪・パラリンピック」と表現している事が多いが、「五輪」と「パラリンピック」では表現がマルで違い、それをいうのなら、オリンピック & パラリンピックだろう。
批判を覚悟で言えば、人々の関心を考えればオリンピックとパラリンピックではマルで違う。偽善者が何と言おうとパラリンピックがオリンピック並の人気と盛り上がりとなる事は無い。こういう奇麗ごとと偽善は、お花畑の左翼の得意とするところで、偽善の強みは批判をし辛いという事実を上手く利用している事だ。
今から3年程前、突然の脳出血で緊急入院。運良く10日程で退院できたが、その退院時に病室から車椅子で正面玄関を通ってタクシー乗り場まで行って、そこからタクシーに乗り換えるまでの間に感じた事は、世間の普通の人は車椅子に対して実に親切だという事だ。これは偽善では無く、本心からのモノであり、この辺が左翼の胡散臭さとは大違いであり、またそういうのは直ぐにバレるものだ。
結局退院後、狭い自宅の廊下を杖を突いて何度も往復してのリハビリで、1ヶ月後には何とか外を歩けるようになり、今では日常の生活には全く支障のない状態まで回復したが、車椅子経験は一度やってみるのも悪くない、と勧める訳にもいかないが‥‥。
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