韓国の与党は「5・18光州民主化運動を誹謗したら懲役7年」という法案(別名「歴史歪曲処罰法」)を党議決定し、更に5・18真相調査委員会に強制捜査権を与える特別法(5・18特別法)も党議として推進することにした、という。
まあ何でも良いけど、その5・18光州民主化運動って一体何なんだ? 多くの日本人はこの運動の内容なんて知らないだろう。そりゃあそうだ。日本人から見ればどうでも良い事。とは言え、概要くらいは知らないと、この法案の背弧関係や目的が判らない。と言う事で調べた内容を纏めてみた。
光州事件は1980年に起こったが、先ずはそれに至った情勢から纏めると、前年の1979年には
・10月26日 朴正煕大統領が金載圭中央情報部長に暗殺される(朴正煕暗殺事件)が発生し翌日には済州島を除く全国に非常戒厳令を宣布される。
・10月12日 全斗煥保安司令官(後に大統領)が、戒厳司令官の陸軍参謀総長を逮捕し、陸軍第3軍司令部と、陸軍本部及び国防部を襲撃し、国防長官をも拘束、韓国軍全軍を掌握する(粛軍クーデタ-)
翌1980年には4月から労働者と学生の民主化要求デモが激しさを増し
・5月17日 戒厳司令部が非常戒厳令を済州島を含む全国に拡大(5・17非常戒厳令拡大措置)
そして5月18日(5・18)に
・戒厳司令部が金大中、文益煥、金鍾泌、李厚洛など26人を騒擾の背後操縦や不正蓄財の嫌疑で逮捕し、金泳三を自宅軟禁した。
・政治活動の停止、言論・出版・放送などの事前検閲、大学の休校などを盛り込んだ戒厳布告を発表。
・光州市の全南大学と朝鮮大学に陸軍第七空挺旅団の三三大隊と三五大隊が配置され、朝、全南大学の校門前でこの空挺部隊と学生が衝突。
・排除された学生は光州駅前で体勢を立て直して錦南路をデモ行進し、機動隊と衝突。
・午後、空挺部隊が市内各所に投入され学生を鎮圧。400人以上の学生が連行され、80人が負傷
以上が5月18日の主な動きだ。
これに対して翌日(19日)以降、デモには市民が加わり、角材、鉄パイプ、火炎瓶などを使用して対抗するなど、抗争は増々エスカレートしていく。
9月17日には普通軍法会議にて金大中に、内乱予備罪・陰謀罪・反共法違反・国家一級保安法違反を理由とする死刑判決が言い渡された。
という流れが5・18光州事件の概要だ。
その後の韓国は全斗煥による極右政権が1980年9月~1988年2月まで続いたが、粛軍クーデターや光州事件等により、退任後に死刑判決(高裁で無期懲役に減刑され、後に特赦) 。
全斗煥の後の盧泰愚も運動を弾圧した勢力だが、粛軍クーデター・光州事件及び大統領在任中の不正蓄財により、退任後に軍刑法違反で懲役刑となる。
実は、全斗煥時代には情報も全て統制していたため、光州事件の実態について国民は知らされなかったが、その後徐々にその悲惨な実態が明るに出たことで、5・18は反独裁民主化運動の理念的基礎となった。
と言う事で、文ちゃん一派としては5・18精神で民主政治を行っているというアピールをする関係から、今回の無茶な法律制定に繋がった訳だ。
しかし、見ての通りで、今の文政権は全斗煥以上の独裁政治であり、右も左も極端になれば民衆主義もヘチマも無い恐怖政治に突っ走るという見本みたいなモノだ。
今の文ちゃんは習近平を見倣っているのか、良いとこ勝負の独裁政治を行っているが、流石にキンペイと比べればスケールが違い過ぎるが(笑
ところで、この光州事件の暴動を背後で操っていたのは北朝鮮だという説もある。まあ中共にしても米国のBLMによる暴動を背後で操っているようだし、日本でも沖縄の反基地運動は、実は中共の息のかかったプロ市民が主体だとか、市民運動=共産主義者の戦略、というのは今や公知となっている。
あれ~、アホな法律作ろうとしている文ちゃんをオチョクって遊ぼうと思ったら、何やら真面目な内容になってしまった。まあ偶にはこういうのも良いかな。
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