ススキ自動車は1993年に中国の重慶長安汽車と合弁で長安スズキを設立した事に始まり、2000年代後半〜2011年頃 までは絶好機を迎えていた。その後衰退の傾向はあったとはいえ、年間10万台を販売していたが、2018年に突然合弁事業を解消し、持ち株を売却し、全面撤退を実施した。
実は、この撤退の理由は中国によるノウハウ全開示要求に対する決断だった。
1. 中国側が突きつけた不当な条件

• 要求されたノウハウの範囲:スズキが30年以上かけて培ってきた小型車技術の核心部分すべて。
◦ 燃費効率を極限まで高めたエンジン設計
◦ 軽量化と耐久性を両立させた車体構造
◦ 車づくりの根幹である「設計思想そのもの」
• 圧力の構図:「技術を開示しなければ事業継続は難しい」と迫り、累計1,000万台を販売してきた巨大市場と引き換えにノウハウの引き渡しを強要する構造であったと語られている。
2. 鈴木会長の「誇りと魂」を守る決断

社内では「市場を失うか、技術を渡すか」で激しい議論となったが、当時87歳だった鈴木修会長は以下のように断固とした決断を下した。
「技術だけは何があっても守る。誇りを失えば会社は終わる。覚悟を決めよう」
• 巨大な中国市場と利益をあっさりと捨て、技術と企業の魂を守る道を選択。
• 発表からわずか3ヶ月で合弁事業を解消し、パソコンのデータ1つすら残さずに完全撤退を完了させた。
当時は「巨大市場からの敗走」などと一部で揶揄されたスズキの撤退劇だが、現在のチャイナリスク(技術の強制開示圧力、資金の国外持ち出し規制、高すぎる撤退障壁)が顕在化した現在においては、経営史に残る「伝説的な先見の明」として再評価されている。

多くの企業が「14億人の巨大市場」という幻影や過去の投資への執着(サンクコスト)から抜け出せずに泥沼化する中、スズキの決断がなぜこれほど絶賛されるのか、ポイントは大きく3つに集約される。

• 異常なまでの「決断と引き際」の早さ:2018年当時、中国での小型車需要の急速な冷え込みとNEV(新エネルギー車)規制による技術開示の要求を察知するやいなや、合弁会社の全株式をわずか「1元(約16円)」で譲渡してまで撤退を完遂した。利益への未練を完全に断ち切り、発表から約3ヶ月で完全に姿を消したスピード感は異例中の異例だった。
• 「出られない構造」にハマる前の脱出:現在、中国に進出した外資系企業の多くが「技術やノウハウを吸収される」「現地で稼いだ利益を日本に送金できない」「労働者への解雇手当や清算手続きが難航して撤退すら許されない」という三重苦に苦しんでいる。スズキはこの構造的な罠が完成する前に、自社の核心技術と資産をすべて回収して脱出に成功した。
• 「戦わない場所」を捨て、「勝てる場所(インド)」へ集中:中国から引いた経営資源を、当時まだ他社が半信半疑だったインド市場(マルチ・スズキ)へ一気に集中投下した。その結果、現在ではインドの乗用車市場で約50%という圧倒的なシェアを握り、他社が追随できない独壇場を作り上げている。