7月3日に韓国ソウルの国立航空博物館で開館式が行われ、目玉は韓国初の飛行士である安昌男が操縦した「金剛号」の復元模型、要するにレプリカだという。
韓国初の飛行士ねぇ。
それで安昌男について調べてみたらば、1901年生まれで確かに初の朝鮮人飛行士だが所属は大日本帝国!韓国人が気の狂ったように嫌う日帝の飛行士だった。
1920年に小栗飛行学校に入学して優秀な成績で卒業すると同校の教官に任じられる。1922年にはより上位の二等飛行機操縦士第57号を取得し東京で飛行士として仕事をしていた。この頃東京・大阪間郵便飛行競技に参加して往復に成功し賞金を獲得、翌年には懸賞飛行競技大会に参加し2位となって、賞品の中島式150馬力(五型練習機)を獲得している。
しかしその後、1925年には中国に亡命したが1930年に訓練飛行中に砂塵で視界を遮られ山の斜面に激突し事故死している。結局韓国とは何の関係も無い安昌男を2001年に建国勲章愛国章を贈るという、例によって歴史の捏造をやったのだった。
さて最初に戻って、昌男くんの愛機「金剛号」についてだが、昌男くんが所有していたのは前述の飛行競技会で獲得した中島式5型練習機だったようで、これは中国亡命の前年に売却している。この中島式5型練習機の写真を見れば‥‥おおっ、何と復元模型とそっくりだ。
要するに韓国が開館した自慢の航空博物館で韓国の英雄とした初の飛行士は、実は日帝の飛行士であり、愛機は日本の競技会の賞品で、しかも日帝の代表である中島飛行機製だった。あっ、はっ、はあ~。
そして、「金剛号」なんていうのは歴史文献には全く出てこない、これまた得意の捏造だろう。それでも「金剛号」は韓国製の飛行機ニダ、とは言って無いようだが、ここはやっぱりかの国らしく「日帝の飛行機は韓国がウリジナルにだ」くらい言わなくっちゃあ駄目でしょうがぁ!ぶっ。
まあねぇ、飛行機の歴史が全く無い韓国に航空博物館を作ろうなんていうのが間違いの元だったんだねっ。チーン♪
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