日本も昔はパクりだらけだった、その1オーディオ機器




今でこそあらゆる工業分野で世界を牽引している日本の技術。新幹線を始めとして鉄道においては発祥の地である欧州を大きく引き離してダントツ世界一となり、自動車に於いてもハイブリッド技術ではトヨタの一人勝ち、等等‥‥。

ところが、1970~80年代の日本はといえば、何を隠そう、世界の一流品のパクりが平気で横行していた。そこで、これらについて、何回かに分けて纏めてみる。

先ずはオーディオ機器から。

70年代はチョイとしたオーディオブームであり、若者、とりわけ大学生にもオーディオに凝っていて、アルバイトをしてはその報酬をオーディオに注ぎ込む学生が結構多かった。勿論、年配者もオーディオ好きは多く、そういう彼らの中でもダントツ人気のアンプと言えば、ラックス製の真空管アンプだった。

そのラックスのアンプの中でも、一際人気が高かったのが「SQ38FD」というモデルだった。このアンプは真空管方式のプリメインアンプで、出力管に50CA10というNEC製の三極管を使用していて、これがまたマニアに好まれる理由の一つでもあった。

SQ38FDの価格は1970年の発売当時9,800円だった。その格調高いスタイルも大いに人気だったが‥‥。

実は当時、世界最高峰といわれたプリアンプの一つに米国マランツ社のmarantz Model 7があった。そのスタイルは‥‥

ややっ、これはなんと‥‥

そう、 SQ38FDのスタイルはmarantz Model 7のコピーだったのだ。まあ、よく見ればオリジナルが各4個のつまみを左右対称に配置した特徴まではパクってはいないが、そうは言ってもこのデザインはラックスのオリジナルとは言い難い。

さて、アンプの次はテープデッキで、マニアの憧れは3モーター方式のTEAC製の各モデルだった。中でも10インチリールと毎秒38cmのテープ速度、そして2トラックの片道録音という、プロ規格ともいえるA-7030が一番人気だった。価格は確か30万円くらいだったと記憶がある。

しかーし

これもまたパクりだった。そのオリジナルは当時としてはレコード会社などで世界的に使用されたいた米アンペックス社のモデルだった。

1970年といえば、敗戦からやっと四半世紀が経過して、ここから一気に日本が世界に追いついていった時期だが、当時はこんなものだったのだ。

とは言え、C国のようなマルパクりではなく、どこかに異なる部分があったのも日本人のおくゆかしさだったのか?