韓国の文化財宮殿 古い資料の存在を確認せずで手抜き復元

 

韓国文化財庁が2005年に景福宮泰元殿を復元したが、古い扁額(建物の内外や門・鳥居などの高い位置に掲出される額)が国立中央博物館に所蔵されているのを知らずに、間違った復元をしていた事が最近になって確認された。

その景福宮について、国立中央博物館が今月1日に公開した報告書では、1868年に掲げられていた扁額が黒字に金色の文字であり、その文字も筆致が端正で当代の名筆だった。

ところが、文化財庁が復元したものは、黒字に白の文字で書体も異なっていた。要するに文化財庁はろくに調査もせずに手抜き複製をしたという、実に彼の国らしいものだった。

ところで、その景福宮とは現在のソウル特別市にある朝鮮王朝(李氏朝鮮)の王宮で、1395年に朝鮮王朝の初代国王である李成桂によってこの地に置かれたものだ。その後約200年間は正宮として使用されていたが1553年に火災によって焼失した。

後に再建されたようだが、今度は1592年の文禄の役(秀吉が釜山経由で大群を朝鮮半島に送り込んだ)で国王が漢城(李氏朝鮮の首都、現在のソウル)から逃亡して治安が乱れると、日本の部隊が到着する前に朝鮮の民衆が略奪と放火を行い再び焼失した。

結局その後270年に渡って再建はされなかったが、李王朝末期の1865年になって再建され、1868年には再び景福宮に国王の住居と政務を移した。ところが、1865年には国王がロシア公使館へ逃げ込み、ここで政務をとるようになり、またまた王が不在の宮殿となった。そして1910年の韓国併合(韓国皇帝が一切の統治権を完全かつ永久に日本国天皇に譲与する)条約により王宮としての役割を無くしたため解体され、跡地には朝鮮総督府の庁舎が建設された。

第二次世界大戦終了により韓国が独立後は紆余曲折の末に1990年から第一次復元事業が行われ、2010年までに25%が復元された。前述の2005年泰元殿の復元もこの期間の事業だ。これに続き2011年から第二次復元事業が行われており、2030年に終る予定という。

なお、この景福宮の全体図にリンクを貼っておく。
景福宮案内図

結構立派で規模の大きい宮殿だが、ハッタリとウリジナルの国の事だから、どこまで本当だか判らないが‥‥。

.

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です