千葉科学大学、そもそも薬剤師になれる基礎学力と自頭の良い受験生を集める事は不可能だ


薬学部は6年制で難易度の高い国家試験に合格しないとなんの価値もない。それに耐えられるだけの基礎学力と自頭の良い受験生を集めるのは極めてむ難しい。薬剤師になれる能力のある学生は既に既存の伝統ある薬科大の枠で埋まっているのではないか?

6年制の薬学部は、単に「卒業すれば薬剤師になれる」わけではない。膨大な暗記量と科学的センスが求められる進級・卒業試験を突破し、最終的に合格率が全体の7割〜8割前後(新卒でも苦戦する大学が多数)という過酷な薬剤師国家試験に合格して初めて、その6年間の莫大な時間と学費(約1,200万円以上)が報われる世界だ。

そして「薬剤師になれるだけの基礎学力と地頭がある学生」の総数は決まっており、彼らはすでに既存の伝統ある薬科大や、都市部の有名私大の枠で完全に埋まっている。

この絶望的な構造の中で、千葉科学大学(大城学園)の薬学部が直面する「高すぎる壁」とは‥‥

1.「全入レベル」からの国家試験合格は、確率的にほぼ不可能
大学全入時代において、偏差値がBF(ボーダーフリー:いわゆる全入状態)に近い大学の薬学部が陥る最大の罠が、この「出口(国家試験)」の低さだ。

• 授業についていけない現実:高校レベルの化学や生物、数学の基礎がおぼつかない学生が、大学の高度な有機化学や薬理学、病態生理学を理解するのは不可能だ。

• 「見かけの合格率」を作るための大量留年:国家試験の合格率を高く見せるため、多くの下位私大薬学部では、受かりそうにない学生を4年次や5年次、あるいは卒業試験で大量に留年・退学(事実上のスクリーニング)させる。 結果として、入学した学生の「4〜5割しか6年間でストレート卒業・合格できない」という悲惨なデータが珍しくない。大城学園がいくら学費を下げて沖縄から学生を連れてきても、この「地頭と基礎学力の壁」はどうしようもない。

2.「地方・新設・定員割れ」という三重苦
受験生やその親、そして高校の進路指導教諭は、薬学部を選ぶ際に「伝統(OB・OGのネットワーク)」と「国家試験のストレート合格率」を最も重視する。

大学のタイプ 受験生からの評価と動向
伝統校・都市部有名校:(東京薬科、明治薬科、慶應、星薬科など) ブランド力、高い合格率、強固な就職ネットワークがあり、優秀な層を独占。
・地方新設校(千葉科学大など):立地が不利、過去の合格率低迷、定員割れにより、「他に行き場がない層」しか集まらない悪循環。

薬剤師を目指すだけの学力がある受験生なら、わざわざ実績に不安があり、かつアクセスが非常に不便な銚子の地を選ぶ理由は、現状「学費の安さ(減免制度)」以外に無いが、前述の通り「頭脳」はお金だけでは買えないのだった。

3.迫り来る「薬剤師余り」の未来予測
さらにマクロな視点で見ると、厚生労働省の試算では、早ければ2020年代後半から2030年代にかけて、日本全体で薬剤師の供給が需要を上回り、「薬剤師が余る時代」が到来すると予測されている。

これまでは「地方の薬学部でも、資格さえ取ればどこでも就職できる」という神話がありったが、今後は薬剤師の質が問われる時代になる。調剤薬局や病院側も、採用するなら伝統校や有名大の卒業生から選ぶようになり、下位大卒の薬剤師は就職すら厳しくなる可能性がある。この未来が見えているからこそ、賢い受験生ほど「下位私大の薬学部」を敬遠しているのだ。

では、大城学園はどうするつもりなのか?
「まともな薬剤師を育てる」という正攻法のアプローチでは、すでに勝負は決まっており、大城学園に勝ち目はない。

彼らがもし本気でこの薬学部を維持しようとするなら、日本の医療界の常識とは異なる、以下のような「異様な割り切り」をするしかない。
• 国家試験合格をハナから諦めた「Fラン薬学」の受け皿化:「6年間在籍して学費を(エナジックの補填や奨学金で)落としてくれれば、国家試験に受からなくてもいい(企業内の別部門や、海外拠点のノンライセンス職で引き取る)」という、一種の雇用一体型のビジネススクールのような形態への変質。

• 東南アジアなどの「外国人留学生」の国家試験特攻:日本の薬剤師免許を取得して日本で働きたい、あるいは母国でエナジックの健康ビジネスの幹部になりたいという、アジア圏の超ハングリーで優秀な留学生をタダ同然の特待生で集め、24時間詰め込み教育で国家試験に叩き込むようなスパルタモデル。

いずれにせよ、「能力のある学生は既存の大学で埋まっている」という現実は、大城学園の経営陣も痛いほど分かっている(あるいは、素人ゆえにこれから痛感する)はずだ。

きれい事の「地域医療への貢献」や「沖縄振興」というスローガンだけでは、国家試験の合格者数は1人も増えない。この「学力不足の学生しか集まらない」という致命的なミスマッチに直面したとき、彼らが大学経営の厳しさを知って絶望するか、あるいは完全に日本の教育界のモラルを無視した超ド級の奇策に出てくるか、まさにそこが次の注目点となる。