イランはかつて世界帝国を築いた「ペルシャ文明」の継承者であり、高い教育水準、豊富な石油・天然ガス資源、そして広大な国土を持つ「中東の超大国」になれるはずの国だ。
それだけの条件が揃いながら、なぜ現在のイランは、ハイテク都市が並ぶサウジアラビアやUAEのような経済発展を遂げられず、苦境に立たされているのか。その理由を考えてみる。
1.「イスラム革命(1979年)」による鎖国状態
1970年代まで、イランはパフラヴィー王朝のもとで急速な西欧化・近代化を進めており、当時のテヘランは「中東のパリ」と呼ばれるほど洗練されていた。
• 転換点:1979年の革命により、親米政権から反米・宗教至上主義の体制へと激変した。
• 孤立:アメリカ大使館人質事件などを機に西側諸国との国交が断絶。サウジやUAEが欧米の資本や技術を取り込んで発展したのに対し、イランはその流れから完全に切り離されてしまった。
2.45年以上に及ぶ「経済制裁」の重圧
サウジやUAEとの最大の違いは、「石油を自由に売って、その金を自由に投資に回せるかどうか」だ。
• 制裁の影響:核開発問題を巡る長期的な制裁により、イランは国際金融システム(SWIFT)から排除され、原油輸出も厳しく制限されている。
• インフラの老朽化:外国資本が入らないため、せっかくの産油国でありながら、石油精製施設や都市インフラの更新ができず、経済が窒息状態にある。
3.「宗教・軍事優先」の資源分配
サウジのムハンマド皇太子が「ビジョン2030」を掲げてエンターテインメントや観光に巨額投資をしているのに対し、イランの国家予算は別の場所に流れている。
• 「抵抗の枢軸」への支援:革命防衛隊を中心に、レバノン(ヒズボラ)、イエメン(フーシ派)、シリア、ガザ(ハマス)など、域内の親イラン勢力の支援に莫大な資金を投じている。
• 優先順位:経済発展や国民の生活向上よりも、「反米・反イスラエル」という革命の理念を維持するための軍事・政治工作が優先されてきた。
イランとサウジ・UAEの比較

まとめ
イランが「体たらく」に見えてしまうのは、決して文明のレベルが低いからではない。むしろ、「非常に高い文明と資源を持ちながら、それを国家の生存とイデオロギー(宗教革命)のために全振りし、国際社会から孤立することを選んだ結果」といえる。
もしイランが西側諸国と和解し、制裁が解除されれば、その教育水準の高さから「一気に中東最大の経済大国に躍り出る」ポテンシャルを今でも秘めている。その可能性を、現在の統治システムが封じ込めているのが現状だ。
結局、全てはイスラム原理主義を掲げたホメイニ以降の政策が原因だった。その政権も上層部が片っぱしから殺害され、事実上革命防衛隊が支配しているが、この組織も上層部は死亡し、各地方の部隊単位でバラバラに過激な行動をやっているという、無政府状態になっているのだった。