半世紀前の大学は、大東亜帝国クラスが最下位という感覚で、これに受からなければ大学生になれない、という厳しい時代だった。上位進学校でも一浪は当たり前であり、言い換えれば当時の大卒は今より価値があった事になる。医学部は国が新設を強力に押さえているが、他の学部も同様だったなら、日本の社会も大きく変わっていたのではないか。
そこで、もし国が医学部のように他の学部の定員も厳格に絞り続けていたら、日本社会はどうなっていたか、について考えてみる。
1. 「大卒」の希少価値とエリート性の維持
医学部が現在も高いステータスと所得を維持できているのは、徹底した「供給制限」によって価値をコントロールしているからだ。
・高付加価値化:他の学部も同様に絞られていれば、大卒という資格は「持っているだけでエリート」という、戦前や高度経済成長期のような強力なライセンスであり続けたはずだ。
・ホワイトカラーの質の向上:誰でも大卒になれるわけではないため、企業側の採用コストは下がり、大卒者にはより高度な専門性と責任が求められる社会になっていただろう。
2. 「専門職・技能職」の地位向上(ドイツ型社会)
学部の定員が絞られれば、当然、多くの若者は大学以外の道を選ばざるを得なくなる。
・マイスター社会の実現:ドイツのように、大学へ行く層と、専門的な技術を学ぶ層が早期に分かれる構造になっていた可能性がある。
・現場力の強化:現在「Fラン大学」と揶揄されるような層が、実習中心の高等専修学校などで高い技術を身につけ、製造業や建設業の現場を支える「誇り高き技能職」として、今よりも高い賃金を得ていたかもしれない。
3. 「AI時代」への適応力の差
2026年現在の視点で最も興味深いのは、AIとの共存だ。
現状:大学全入時代を経て、「ホワイトカラー予備軍」が大量生産されたが、その仕事の多く(事務、法務、会計の一部など)がAIに代替され始めている。
仮説:もし定員を絞り、大卒者を「AIを使いこなす高度な設計者・判断者」に特化させ、他を「AIが代替しにくい物理的な対人サービスや技能職」に誘導できていれば、現在の「ホワイトカラーの失業不安」はこれほど深刻ではなかった可能性がある。

結論:日本が失ったかもしれない「骨太な社会」
もしも定員抑制を続けていれば、「学歴のインフレ」は起きず、若者のモラトリアム期間も短縮され、より実利的な国家になっていたかもしれない。
しかし一方で、大学教育の「大衆化」が日本の民度(基礎教養の底上げ)に寄与した側面も無視できない。
もし定員を絞り続けていたら、現在よりも格差が固定化された、より冷徹な階級社会になっていたリスクもある。
AI社会の到来で、ホワイトカラーの必要が無くなると言われている現在、もう一度大学制度に関して考える必要があるが、政府は本気にやるのだろうか?