日本基督教団が「左傾化」あるいは社会運動に強く傾斜していった背景には、戦前・戦中の国家協力に対する反省(1967年の「戦責告白」)と、1960〜70年代の「社会派」の台頭および教団紛争という明確な歴史的要因がある。
それは主に以下の5つの要素が組み合わさった結果だ。
1.1967年「戦責告白」と国家権力への警戒

・日本基督教団は1941年、戦時下の国家統制(宗教団体法)のもとで既存のプロテスタント諸派が強制的に合同させられて成立した。戦時中は宮城遥拝や神社参拝を受け入れ、戦争協力を行った歴史を持つ。
・この過去への深い悔い改めから、1967年に鈴木正久総長名義で「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白(戦責告白)」が発表された。「国家権力への従属=偶像崇拝への屈服」という強いトラウマから、国家権力に対する監視・反対運動(靖国神社国家護持反対、天皇制批判、憲法9条擁護など)が神学的な義務として位置づけられるようになりった。
2.1960〜70年代の「社会派」の台頭と教団紛争

1960年代後半の安保闘争や全共闘運動の波は、教会や神学校(東京神学大学など)にも大きく波及した。
この時期、教団内部は大きく二分された。
• 教会派: 礼拝・聖書・伝道を第一とする伝統的グループ
• 社会派: 社会の構造的差別や体制批判、政治闘争を信仰の現場と捉えるグループ
1970年の大阪万博における「キリスト教館」出展の是非を巡り、社会派の青年や牧師が激しい阻止行動を展開(教団紛争)。この紛争を経て、教団の機構や委員会、神学者・牧師の潮流において「社会正義の実現」を重視する社会派の存在感が決定的に強まった。
3.海外の「エキュメニカル運動」と「解放の神学」の影響

日本基督教団が加盟する世界教会協議会(WCC)は、1960年代以降、人種差別撤廃や発展途上国の構造的貧困、反帝同盟などを支持する政治的・社会的傾向を強めた。
また、中南米で生まれた「解放の神学」(神の救いを“社会的・政治的抑圧からの解放”と捉える考え方)などの潮流が日本にも導入され、キリスト教の信仰をそのまま社会運動や人権闘争へと結びつける神学的裏付けとなりました。
4.国家神道拒否(偶像崇拝の否定)と左派運動の整合性
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一神教であるプロテスタントにとって、戦前の国家神道や天皇制の宗教的要素を受け入れることは「偶像崇拝」にあたる。そのため、「靖国神社問題」や「元号法反対」「自衛隊反対」といったテーマは、単なる政治的イデオロギーではなく、「信教の自由を守る」「神以外の絶対者を認めない」という信仰の根幹に関わる問題として扱われる。これが結果として、日本の左派・リベラル勢力の主張と強く合致することになった。
5.マイノリティ支援・人権活動の継続

教団は早期から、在日コリアンへの指紋押捺反対運動、部落解放運動、沖縄の米軍基地問題、公害問題、労働問題など、社会的弱者の権利擁護活動に力を入れてきた。現場でそうした活動を支える主体の多くが左派系の市民団体や政党であったため、協力関係を通じて左傾化のイメージが定着していった。
現在では、1970年代のような激しい運動の時代は去り、教会員の高齢化や減少が進んでいるが、教団の公式声明や指導層の基本スタンスには、こうした歴史的経緯によるリベラル・社会派的な傾向が今なお色濃く残っており、これが辺野古事件で露わになった過激派との連携だった。