Subaru Levorg 2.0 GT-S (2016/2) 前編 その1

  

スバル レヴォーグについては既に2014年10月29日からの日記でワゴンのレヴォーグと、そのセダンバージョンである WRX について写真で紹介し、更には最近 (2月4日) の日記でも 2.0GT を再度取り上げているが、今回はそれを元に正式な試乗記として纏めることにした。2014年の時は 170ps の 1.6GT を簡易試乗記で取り上げたが、今回は 2.0L 300ps という伝統のレガシィ ツーリングワゴンの後継車ということで、一軍 (試乗記本編) での扱いとした。

先ずはスバルのツーリングワゴンについて遡ってそのルーツを探ってみる。レヴォーグの前身はレガシィ ツーリングワゴン (以下T.W.) であるのは言うまでもないが、そのレガシィ T.W. の前身はスバル レオーネ T.W. であり、初代レオーネは 1971年に発売された。このレオーネには商用版仕様のエステートバンが設定されていたが、これをベースにした4WD 仕様車が東京電力の要請により数台製造され、翌 1972年にはエステートバンに4WD車が設定されて正式に市販された。当時の4WD 車といえば第2次大戦の軍用車そのものをノックダウン生産していたミツビシ ジープ、そしてトヨタ ランドクルーザーやニッサン パトロール (後のサファリ) 等のヘビーデューティ−の作業車であり、購入するのは殆どが警察や消防、町役場等の官公庁で、大きさや重量、そして税金を含めた維持費を考えればとても個人オーナーが所有できる代物では無かった。その意味ではレオーネ 4WD エステートバンは画期的なものであり、商用バン扱いとは言うものの、乗用ベースのバンによる 4WD 車のルーツとも言えるものだった。

それではレオーネが発売され、また東電向けの4WD車が限定生産された1971年というのはどんな年だったのだろうか? と調べて見たらアポロ14号が月に着陸したと思ったら、アメリカが金とドルの交換停止するという所謂ニクソン・ショックもこの年だった。小学校以来ドルというのは純金と交換できる兌換紙幣だと教えられてきたが、この時点から実は単なる印刷した紙となったのだった。

国内では沖縄返還協定の調印式が挙行され、自衛隊のF-86戦闘機と全日空のボーイング727型機が、岩手県雫石上空で空中衝突、旅客機の乗員・乗客162人全員死亡(全日空機雫石衝突事故)という大事故が発生、など当時既に物心のあった世代の読者には、「そう言えばそんな事もあったなぁ」と記憶がよみがえるだろう。

次にレオーネ 4WD エステートバン が一般にも発売された1972年というのはどういう年かといえば、グアム島で元日本陸軍兵士横井庄一発見 、札幌オリンピック開催、 連合赤軍によるあさま山荘事件、第1次田中角栄内閣発足、その田中首相により日中国交正常化とそれを記念して上野動物園にジャイアントパンダのランラン/カンカンが来園。またテルアビブ空港で日本赤軍乱射事件なんていうのもあった。日中国交正常化はアメリカにさきがけての挙行であり、そんなことして大丈夫なのかなぁ、と当時思ったらその後に田中角栄氏は東京地検特捜部により逮捕された。しかし当時は未だトクソウが隠れキムチの売国集団ということを知らなかったので、本気で田中氏が悪どい金権政治家だと信じていたものだった。

そして世界に目を向ければ、ウォーターゲート事件発覚 、アポロ計画が終了しそれ以来月面探索は行われていない‥‥あれっ? 何か言いたそうな? 駄目ですよっ、ここでアポロのスタジオ撮影話は!

クルマについては1971年はレオーネ以外ではホンダ ライフ、スズキ フロンテクーペ、マツダ サバンナ、ミツビシ ギャラン FTO が発売されている。また1972年はトヨタ カローラレビン/スプリンタートレノ 、マツダ シャンテ、スバル レックスなどがあった。レガシィ T.W. と共に今でもマニアの人気であるれビン/トレノもこの年に発売されているということは、ようやく日本でも若いマニアがクルマを買えるようになってきた、ということだろうか?

それではこれらの年にはどんなヒット曲が街に流れていたかといえばシングル売り上げベストスリーでいうと1971年では
 1位 私の城下町 / 小柳ルミ子
 2位 知床旅情 / 加藤登紀子
 3位 また逢う日まで / 尾崎紀世彦
1972年では
 1位 女のみち / 宮史郎とぴんからトリオ
 2位 瀬戸の花嫁 / 小柳ルミ子
 3位 さよならをするために / ビリー・バンバン
という具合で、小柳ルミ子の売れ行きは凄かったんだぁ、と当時を思い出した。

この中から 1972年の売上第3位だった "さよならをするために" をボーカロイド & 打ち込みで作ってみた。この曲は日本テレビの "3丁目4番地" というドラマの主題歌で、主演の浅丘ルリ子の役はラジオ局の人気 DJ というのも当時の先端だったのだろう。


写真1
初代 レオーネ 4WD エステートバン (1972)。



初代レオーネ4WD の商用バンとしての登録に対して、乗用車登録のワゴンは1979年発売の2代目に2年後の 1981年から設定されたレオーネ ツーリングワゴンであり、このクルマには 4WD 車も設定されていたから、これがレガシィ T.W. のルーツと思って良さそうだ。

1981年といえば世界の情勢は、米国で初のエイズ患者が発見され、ダイアナ妃チャールズ英王子と結婚、ロナルド・レーガン米国大統領に就任、フランス大統領選挙でミッテランがジスカール・デスタンを破り当選マハティール・ビン・モハマドがマレーシア首相に就任、エジプト・サダト大統領暗殺される、なんていう具合に米・仏やマレーシアのトップが代わるという大きな人的変化もあった頃だった。


写真3
初の乗用4WD レオーネ 4WDツーリングワゴン (1981)。


写真4
初代レガシィ ツーリングワゴン (1989)。

レオーネという名称は3代目 (1984 - 1994年) まで続いたが、1989年には厳しい経営環境打開を目指して起死回生の新型車であるレガシィが発売された。レガシィは流れとしては実質レオーネの後継という位置にあったが、レオーネ自身も数年間は一部車種が併売されていたのはいすゞに OEM 供給を行っていた等の事情もあったのだろう。

この初代レガシィ BC/BF 系 (1983-1993年) は御存知のように見事に富士重工の危機を救い、その後も順調にフルモデルチェンジを重ねていったが、中でも3代目 のワゴン (BH系 1998-2003年) はベストセラーであり街中でも頻繁に見かけたし、その多くがリアにビルシュタインのエンブレムを付けた GT-B スペックだったのを覚えている。この GT-Bスペック は2代目 BG系から既に設定されていて、これ以来レガシィの上級モデルにはビルシュタインのダンパー装着が大きなステイタスとなっていた。

実は天下のトヨタがどうしても勝てなかった分野の一つがミドルサイズワゴンのレガシィだった。では他には何があったかといえばバブル時代の4WDブームでのパジェロであるが、実はパジェロというのは本格的な悪路走行は出来ないしディーゼルエンジンなんてパワーは無いし音や振動は大きいしとロクな物ではなかった。対するトヨタのミドルクラス4WDといえばランドクルーザー70であり、これはアマゾンの奥地やら中東のゲリラやらに仕様されて世界的に評価の高い車だったが、それが仇となってファッション性でパジェロの敵わなかった事と、バリダカールラリー、通称パリダカという強豪が相手にしないようなゲテモノのローカルレースをあたかも世界有数レースということにして、そこで優勝したスーパーマシーン的なイメージで大いに売れまくったのだった。そして当時でも3百数十万円もしたパジェロはスーパーマシーンどころか人気のディーゼルだったら軽自動車並みの動力性能に唖然として、短期間で売却した例も結構見たものだった。ただし、救いは超人気故に新品同様で売却すれば損害は最小限だったことだ。

もう一つ、天下のトヨタが指を咥えていたのがフルサイズミニバンで、この分野はキャラバンからエルグランドに至るニッサンが先行していた。元々ミニバンの前身であるワンボックスワゴンでもバン&ワゴン専用のニッサン キャラバンに対してトラック仕様と共有のラダーフレームのバンであるトヨタ ハイエースでは、乗用車テイストという面では勝負にはならないのは当然だった。

しかしそこはトヨタのことだから地道に似たような車種を改良していって、今では死に体のパジェロに対してランドクルーザープラドで、RWD を捨ててコストダウンを図ったエルグランドにはベルファイヤ/アルファードで完全に追い越した状態だが、ミドルクラス ステーションワゴンの分野では流石のトヨタとてレガシィ ツーリングワゴンには歯がたたない情況だ。またこの分野では一時期結構人気だったステージアも既に販賣を終了しているなどで、元々ミニバンに完全に取って代わられたステーションワゴンという市場だから、レガシィとて決して以前の勢いはない。

クルマは一般的にフルモデルチェンジの度にサイズが大きくなってくるもので、これはレガシィとて例外ではなかった。前述のレガシィ T.W. の黄金時代を築いた3代目 BH系 は5ナンバーサイズという取り回し易い、正に日本の公道ではジャストサイズのクルマだったが、4代目 (BP系、2003-2009年) は遂に1,700o の5ナンバー枠を超えて全幅1,730o となってしまい、5代目 (BR系、2009-2014年) では1,780o まで拡大してしまった。

それでは今回のレヴォーグでは全幅は縮まったかといえば実、は1,780o だから肥大化した先代 BR と同じであり「一体何処が日本専用なんだよ」なんて言いたくなるが、これを長さ方向で比べれば BR に対して全長で−100o、ホイールベースでも同じく−100oで、これはジャストサイズだった BG とほぼ同じだから、全幅を除けば5ナンバーサイズということになる。それでは何故に全幅だけは狭くならないかといえば、まあこれは現在の安全基準の要求する側面衝突時の強度や、広いトレッドによる安定性などをクリアするためには仕方が無いと考えるべきだろう。

そうは言っても、新しく開発・造成された地域なら全く問題はないが、戦前の街並みが残っているような地域では 1,700o 以下でないと厳しい場所があるのもまた事実だ。そういう訳でタクシー専用車であるトヨタ コンフォート / クラウン・コンフォートでは未だ5ナンバーサイズを死守しているのだろう。


写真4
一時は街中に溢れていた3代目 BH系 (1998-2003年)の中でも一番人気だったGT-Bスペック。


写真5
事実上のレヴォーグの前身である5代目 (BR系、2009-2014年) 。

今回もイントロが随分と長くなってしまった。この先はその2にて。

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