Subaru Impreza Sport 20i (2016/12) 前編 その1

  

スバル インプレッサが昨年 FMC され5代目となった。インプレッサといえばスバヲタさんが大好きな車種だが、その理由を考えればレガシィおよびレヴォーグに比べて大きさが小さく取り回しか良いことからスポーティーな挙動を示す事や、スバヲタさん憧れのラリーカーがインプレッサをベースとしていること‥‥そして実は低グレード車なら価格が安いこと、など幾つかの理由が重なっているのだろう。

初代インプレッサは1992年にDセグメントのレガシィに対してCセグメントの下位モデルとして発売された。ボディーはスポーツワゴン (GF、写真1) と呼ばれるが実は殆どハッチバックというモデルとセダン (GC) の2本立てだった。この初代インプレッサにはレガシィに代わってWRC (世界ラリー選手権) エントリー用の WRX (写真2) がラインナップされていて、これがマニアの間で大いに人気というか憧れというか、同時に一般人からすれば大げさなエアインテークやウィングという派手な出で立ちから迷惑な走り屋という眼で見られるというモノだった。


写真1
初代 インプレッサスポーツワゴン (1992-)。


写真2
WRC参戦のベースモデルであるWRX。

2代目インプレッサの発売は 2000年だから、初代は8年間も続いたロングセラーモデルだった事になり、当時の国産車と言えば4年毎に FMC (フルモデルチェンジ) を実施して、その度にマルで違うイメージのエクステリアになったりという状況だったから、インプレッサのモデルライフの長さは群を抜いていた。富士重、おっと一言、スバルというのはブランド名で社名は富士重工業で、通称 "富士重” または業界っぽく ”マルフ” なんて呼ぶのも良いかもしれない。これは富士重のマークが丸に ”フ” ということが語源となっている。富士重は実はバスのボディー架装メーカーとしてはメジャーな存在で、路線バスの前ドアのステップ付近にこのマルフマークの付いた銘版を見たことがある読者もいるだろう。なお今年の 4月1日付けで正式に株式会社スバルに社名変更される事が決定されている。

さてこの富士重はといえば戦前の航空機メーカーである中島飛行機が前身で、戦後旧中島飛行機の大田、三鷹、伊勢崎、大宮などの製作所が富士重工となった。なお東京 (荻窪) および浜松製作所は富士精密工業となり、後に名称をプリンス自動車工業と変更し、その後日産自動車と合併した訳で、結局戦後日本の自動車技術は戦前の航空機技術を元にしていたのだった。さらに補足すると、あのポルシェ 911ターボをも打ち負かすくらいの動力性能で国産車擁護派からは ”神” と崇められている日産 GT-R の高性能は、実は IHI 製ターボによるところが大きい。IHI は石川島播磨重工業株式会社の英文表記 Ishikawajima-Harima Heavy Industries Co., Ltd の略として以前から国内でも使われていたが、2007年に正式社名となった。この IHI が何故にそれほどのターボ技術があるかと言えば、その前身は石川島重工と播磨造船所が合併したものであり、播磨造船所は戦前の呉海軍工廠、すなわちあの戦艦大和を作った組織を前身の一つとしている。戦艦大和といえば排水量7万トンという史上最大の戦艦で、あの巨体で最大 27.46ノット (約50.8q/h) という驚異的速度を発揮するが、そのエンジンは4基の純国産蒸気タービンだった。

もうお判りと思うが、IHI のターボ技術は戦艦大和のタービンエンジンが元になっているのだった。当時ではダントツの世界最高峰であった戦艦大和の技術が、天下のポルシェのフラッグシップモデルさえも打ち負かす元になっていたのだ。しかも日産 GT-R は旧プリンス系、すなわち中島飛行機の技術だ。まあ異論もあろうが兎に角 911ターボの半分以下の価格でより性能が良いという理由は、何の事はない旧日本軍の技術だった事が判るだろう。そういえば流石の旧ドイツ軍も大和のような巨大戦艦は無かった、というのが70年経った今でも天下のポルシェですら敵わない面がある要因という事だ。

と、今回は趣向を変えてナショナリズム全開で始めてみたが、2代目インプレッサに話を元に戻すと、この2代目も 2000年から2007年というロングスパンであったが、しかしその途中では2回のフェイスリフトを含む大規模マイナーチェンジを行っている。この結果2代目には前・中・後期が存在する。取り分け後期では写真3 のような飛行機 (勿論中島飛行機を暗示している) をモチーフにしたウインググリルが今後のスバルのアイデンティーとなる‥‥筈だったが、何故かその後あっさりと辞めてしまっている。

次の3代目 (写真4) は2007~2011年と2代目に比べて短いライフで、このモデルからはスポーツワゴンの後継のハッチバックが標準になり、セダンは1年遅れでアネシスという名称で販売が開始された。


写真3
2代目インプレッサ (2000-2007)。写真は飛行機をモチーフにしたウインググリルを付けた後期モデル。


写真4
3代目インプレッサ (2007-2011)。

そして4代目、すなわち先代 GP (スポーツ) /GJ (G3) 系も3代目と同様に2代目に比べて短い 2011~2016年というライフサイクルだった。そして昨年新型の GT (スポーツ) / GJ (G3) 系に FMC されたが、発売当初は 2.0Lのみで 1.6Lは少し遅れて販売が開始されている。なお4代目からはハッチバックをスポーツ、セダンをG4と命名している。それにしてもハッチバックとセダンの呼び方は初代から何回も変更になっているから、スバヲタさんは別として、それ以外の一般人には例えクルマ好きといえども分かり辛い。

では新旧の仕様を比べてみると、アウターサイズで新型は全長+40o、全幅+35o、ホイールベース+25o と何れも僅かとはいえ大きくなっている。それに連れてトレッドも前後各30o 広がっている。車両重量は 2.0 の場合は 20s 増と大した変わりはない。

新型のエンジンについては 2.0L、16L 共に先代からの使い回しで 2.0Lの場合は僅かに最高出力が増しているが、これは多分給排気系の見直しなどであろう。価格的には新旧差は多少あり、勿論新型が少し高い傾向だが、装備品の違いなどもあるだろうから明らかな値上げとは言えない程度の差だ。それよりも重大なことは先代では 1.6Lに設定されていた MT が無くなった事実で、これは貧乏な節約家のマニアでもある典型的スバヲタさんにとっては影響が大きいだろう。

それにしても時代の流れとは言え最近は MT 車の設定がどんどんと減っている。特に特殊なスポーツカーではなく極普通の大人しい車種の MT というのは意外にも隠れた需要があるようで、それは年寄りのユーザーで長年 MT に乗ってきた為に AT では上手く運転できない、なんていう場合だ。最近のニュースでは高齢ドライバーがブレーキとアクセルと踏み間違えての死亡事故が頻繁に報道されているが、MT だったら踏み間違えてもクラッチを繋がない限りは飛び出すことは無く、この手の事故も起こらないだろう。ということは高齢者は AT 限定ならぬ MT 限定免許とすれば踏み間違え事故は無くなる‥‥なんてどうだうろか。

今回もまたまたイントロが長くなってしまっので、この先はその2にて。

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