現在の大学進学率は60%にも達しているが、1980年代には僅か20%だった。という事は80年代に大学に進学出来るのはせい上位20%であり、中学時代の成績で言えば偏差値60(上位16%)、百歩譲って57以上だから、高校で言えばトップ高とは言わないまでも2番手の進学校という事になり、当時の東京で言えば九段、北園、南多摩などが相当する。という事は、一般の公立中学ならクラスで2~3位、通信簿でいえばオール4クラスという事で、これは確かに狭き門だった。
では、なぜ大学進学率が低かったかといえば、大学の定員がそれしか無かったからで、20%に達していない生徒は大学に行きたくても合格できなかった、という事だ。
ところで、偏差値60の高校といえば、大学受験に換算すると私立文系では概ねマイナス10であり、当時の最下位大学でも今でいえば偏差値50の大学という事になる。
という事は最下位でも今の日東駒専か大東亜帝国の一部、多くはMARCHクラスだった事になる。これが理工系となると更に狭き門となり、当時一般的に理工系大学に合格したというと、「そりゃあ頭が良い」という評価になったものだった。
こんな状況だから、半分以上の受験生は現役合格が出来なかった。当時「一浪当然、二浪平然、三浪唖然、四浪憮然、五浪愕然」なんて言われていたものだった。
従って「大卒=一定以上の学力保証」という社会的信頼があった。
ここで、現在は大卒の就く仕事内容のキャパが増えたのかという事だが、どうも変わらないらしい。具体的には
総務、経理、人事、営業、企画
文書作成、処理能力、コミュニケーション
日本語能力、基礎的論理力
これら文系大卒の仕事の内容は、1980年代と2020年代で大きく変わっていないようだ。
受験産業が何が何でもMARCHクラス以上と言っているのは、文系ホワイトカラーになるには、このクラス以上でないと求人のキャパが無いし、能力的にもこのクラスは必要、という事だった。