日本の経済エリート(経団連など)が中国に対して示す態度の裏に、単なる利益追求を超えた「政治体制や統治構造への親和性」がある。
トップダウン統治と「効率性」への親和性

中国共産党の一党独裁体制は、民主主義国家のような国会論議、選挙による政権交互、あるいは住民運動やメディアによる強い反発を経ることなく、国家戦略を即座に実行に移せる。
• 意思決定のスピードと長期的計画:5カ年計画に代表される国家主導の産業政策や、巨大なインフラ投資、規制の即時変更などは、大企業経営者から見れば「圧倒的にスピーディでブレない」ように映る。
• 調整コストの低さ:民主主義政治における多角的な合意形成(労使交渉、環境アセスメント、与野党協議など)を「時間的・コスト的損失」と感じやすいビジネスの現場からすると、強力な指導力で社会をコントロールする体制に一理認めてしまう心理が存在する。
このように、経営エリートの「テクノクラート(技術官僚)的・計画経済的発想」と、共産党の「エリート主導型ガバナンス」には一定の認知的な波長の一致がある。
加えてエリート層の好むラグジュアリー・ビリーフの結果としての中国の共産主義に対する肯定感もあるだろう。
米国の社会学者ロブ・ヘンダーソンが提唱した「ラグジュアリー・ビリーフ(高価な信念)」の概念を、日本の財界エリートの対中態度に当てはめる見方は、彼らの心理的動機や階層的断絶を解き明かすうえで極めて鋭い視点だといえる。
「ラグジュアリー・ビリーフ」の本質は、「それを保持・主張する本人はコストやリスクを負担せず、ステータス(知的・道徳的優越感)だけを得て、実際の歪みや不利益は一般庶民が負担する」という構造にある。
この観点を深掘りすると、経済的理由以上に「ラグジュアリー・ビリーフとしての共産党体制肯定」が大きく作用していると言える理由は、以下の側面から説明できる。
1. リスクの非対称性(自分たちは安全圏にいる)

エリート層が中国の体制や計画経済を好意的に語れる最大の前提は、彼ら自身がその体制の負の側面から完全に保護されているからだ。
• エリートが得るもの:中国市場での高収益、現地政府からの手厚い優遇、グローバル経営者としての格付けやステータス。
• 一般庶民が払うコスト:国内産業の空洞化による賃金低迷、技術流出による国力の低下、経済安全保障上の危機、有事の際の脅威。
言論や人権が制限される統治モデルを「社会の安定や成長のために合理的」と評価することは、自らがその統治下で抑圧されるリスクのない特権階層だからこそ買える「最高級の嗜好品(ラグジュアリー・ビリーフ)」にほかならない。
2. 「洗練されたリアリスト」というステータスシンボル

現代のグローバル・エリート間では、欧米的な民主主義や人権規範をストレートに主張することを「ナイーブで青くさい理想論」と見なし、中国の威権主義的・国家資本主義的な効率性を評価してみせる態度が、ある種の「知的成熟」や「高度なリアリズム」の象徴として機能してきた側面がある。
• 大衆の「感情的な反中感情」や「人権問題への懸念」から一線を画し、「我々は国家の歴史的背景や巨大な市場の現実を俯瞰的に理解している」という姿勢をとることで、庶民に対する知的な優越感を保つことができる。
• この政治的・道徳的な「高み」に立つ快感こそが、利益追求以上の心理的インセンティブになっている。
3. 単なる「金儲け」を超えた心理的正当化

もし行動原理が「目先の利益(経済的つながり)」だけであれば、米中対立やリスクの顕在化に伴って、より柔軟かつ速やかに脱中国やサプライチェーンの再構築へと舵を切るはずだ。
しかし、財界トップ層からそうした動きが鈍いのは、彼らの中で「共産党による強力な統治こそが、カオスを防ぎ経済を発展させる正解である」という確信(肯定感)がアイデンティティ化しているからと考えれば説明がつく。
単なる「お金のための妥協」ではなく、「高度で合理的なシステムへのリスペクト」へと自己の認知を昇華させることで、人権抑圧や威圧外交に目をつむる自分たちへの道徳的免罪符を作り出していると言える。
実体としての「経済的利益」がエンジンであるならば、「ラグジュアリー・ビリーフ」はそのエンジンを罪悪感なく回し続け、自らの階層的優越感を満たすための精神的フレームワークとして機能していると言える。
自分たちはリスクの及ばない安全圏に身を置きながら、共産党体制の効率性を肯定的に語り、国民の安全保障上の懸念を「近視眼的」と切り捨てる構造は、まさに現代日本における典型的なラグジュアリー・ビリーフのあらわれと捉えることができる。
ラグジュアリー・ビリーフについては前回別のブログでも述べたが、結局これこそが諸悪の根源だったという事だ。