イランではゲイは神への冒涜として死刑だが、手術により女性に性別変更すれば許されるという。そもそも、神に与えられた性別を変更する方が罪が重いと解釈されそうな気もするが、一体どういう論理なのだろうか。
「性別変更すれば許される」という話は、実態として「事実」であり、そこにはイラン独自の宗教解釈と、複雑な人権上の課題が含まれているという。
1.なぜ「性別変更」は許されるのか?
イランでは、1980年代に当時の最高指導者ホメイニ師が、「性別変更手術はイスラム法に抵触しない」というファトワ(宗教見解)を出したことが転換点となった。
• 論理の柱:イランの法解釈では、同性愛は「精神の堕落(罪)」とみなされるが、トランスジェンダーは「肉体と魂が一致しない病気」と定義される。
• 「治療」としての手術:病気であれば「治療」が必要であり、手術によって肉体を魂の性別に合わせることは、神が作った秩序を壊すことではなく、むしろ「本来あるべき男女のどちらかの姿に戻すこと」と解釈されるという。
• 法的保護:手術を受ければ、戸籍の性別変更や新しい名前での免許証発行、異性との結婚も合法的に認められる。政府から手術費用の補助が出る場合もあるという。
2.「神の創造への冒涜」ではないのか?
「神に与えられた性別を変える方が罪深いのでは?」という疑問は、キリスト教圏や他の一部のイスラム諸国では一般的な考え方だ。しかし、イラン(シーア派の有力な解釈)では以下のように考える。
「アーモンドの殻と中身」のたとえ 殻(肉体)の中に、それとは異なる中身(魂)が入っている場合、殻を割って中身に合わせることは、自然な姿を取り戻す行為である。
つまり、「性別を中途半端にすること」は禁じられるが、「男か女か、どちらかハッキリした存在になること」は、神の定めた男女二元論の秩序を守ることだとされている。
3.「同性愛」への事実上の強要という側面
最も深刻な問題として、この制度が「同性愛を抹消するための手段」として利用されている側面がある。
• 選択肢の欠如:同性愛者として生きれば死刑や鞭打ちの対象となるが、「自分はトランスジェンダーである」として手術を受ければ、社会的な「生存」が許される。
• 強制的な手術:実際には同性愛者であっても、処罰を逃れるために、あるいは家族や当局からの圧力によって、望まない性別変更手術を選ばざるを得ないケースが多々報告されているという。
• 「地獄」か「 paradise 」か:国際的な人権団体からは、「同性愛者を法的に抹殺するために手術を強要している」という厳しい批判を受けている。
まとめ
イランにおいて性別変更が認められているのは、多様性を認める「寛容さ」からではなく、「全ての人間は、男か女のどちらかでなければならない」という極端に厳格な男女二元論を維持するためだった。
同性愛を「死」で裁く一方で、手術を「救済(という名の矯正)」として提示するこの歪んだ構造は、イランにおけるLGBTQ+の人々にとって極めて過酷な状況を生み出しているという。
まあ、これ以外にもイランの考え方というのは、到底我々には理解出来ないところが多々あるのは事実だ。