今やロボットといえば千葉工大と言われるまでの、世界的な最先端ロボット技術を開発しているが、その中枢である未来ロボット技術研究センター所長である古田貴之氏は、なんと青山学院大の出身だった。
Wikipediaによると古田氏の経歴は
• 青山学院大学 大学院理工学研究科 機械工学専攻 博士後期課程に在籍していたが 中途退学。
• その後、青山学院大学理工学部で助手などを務めた時期がある。
• 2003年ごろに 千葉工業大学(CIT) 未来ロボット技術研究センター(fuRo) の所長に就任し、以降同研究センターを牽引している。
青山学院大といえば、特に理工学部が人気の割に内容が薄い事で有名だが、もしも古田氏が青学に残って今の研修成果を出していたらば、青学の理系にとって大いなるアドバンテージになった筈だ。
では、何故に千葉工大に「逃げられた」のか。その理由は
1. 研究環境の違い
◦ 青学当時は理工系が大学全体での優先度が低く、設備・人的・資金面で大規模開発を進めるための体制が十分でなかった。
◦ 千葉工大は理工系重視で、専用研究棟や研究資金、産学連携支援を積極的に用意する姿勢を示した。
2. 研究スタイルのミスマッチ
◦ 古田氏は「社会実装」「試作・実験・産業連携」を重視する開発型研究者。青学の組織文化・運営方針(文系中心、保守的)と合わず、思うように研究を拡げられない状況だった。
◦ 千葉工大側はfuRo設立などで実験・開発に裁量を与え、産業との共同研究も推進した。
3. キャリア上の機会提供
◦ 千葉工大はfuRoを核に「ロボット研究の中枢」をつくる意志があり、古田氏には研究センター長としての明確な権限と資源が約束された。
◦ 研究室長レベルでの独立性・予算付けが得られる点で、研究者にとって魅力的だった。
4. 結果としての相互効果
◦ 千葉工大はfuRoを通じて研究実績・産学連携を拡大し、古田氏はロボット分野での実装研究を加速できた。
◦ 青学は優秀な研究者を逃し、当時の理系プレゼンス向上の機会を逸した格好になった。
まあ、千葉工大の方針とマッチしたからこその成果だから、青学が少しは古田氏の才能に気が付いたとしても、とてもではないが千葉工大までのサポートは出来なかっただろう。
その青山学院大だが、いつまでMARCHとチャラいおしゃれイメージで人気を保っていられるのだろうか。