日本も昔はパクりだらけだった、その2 自動車前編




欧米のパクりといえば、前回のオーディオ以上に事が大きいのは自動車だ。しかも、自動車の場合は極最近まで日本オリジナルのデザインが確率されていなかった。

そんな状況で、黎明期ともいえる60年代の日本車なんて、パクリのオンパレードだった。先ずは1967年に発売され、それ以前の軽自動車に比べ圧倒的に優れていた事から、ベストセラーになったホンダ N360

だが、ぶっちゃけ基本は英国の「ミニ」のパクリだった。

外見的には寸詰りの2ボックスの小型車でライト配置やグリルなども似ていた。

また機構的には前輪駆動(FWD,FF)と横置きエンジンという構成も同じだった。

勿論、まるコピーという訳ではなく、エンジンではミニは水冷4気筒、N360 は空冷2気筒など、ホンダの技術を注ぎ込んでいる部分もあった。逆にリアサスペンションはミニのトレーリングアームに対してN360はリーフリジットと、言ってみれば遅れていた。

次に1968年に発売された日産ローレルは、そのスタイルは勿論、リアにセミトレーリングアームによる独立懸架を採用するなど、機構的にもBMWと同様であり、リジットアクルスがリアサスペンションの定番であった国産車としては、正に和製BMWだった。

だだし、BMWといえばシルキーシックスと呼ばれるスムースな直列6気筒エンジンだが、初代ローレルは4気筒だった。ローレルに6気筒が設定されたのは2代目(1972年~)からだったが、日産の直6 2.0LであるL20エンジンは、6気筒とは思えない程に振動が多く、高回転域は使用に耐えない代物だった。

まあ、上記の2車種は当時の日本の現状を考えれば、パクりというよりもリスペクトともいうべきであり、そういう面では当時の自動車の中では実に先進的だった。

この2車に対して、内容はまるで勝負にならないが、見かけで勝負とばかりに、デザインをコピーしたようなクルマもあった。

これについては次回にて。