スズキの元会長、鈴木修氏が94歳で死去された。
スズキは1909年に大工から身を起こした鈴木道雄氏により織機メーカーとして創業され、戦後は1952年にオートバイ開発に乗り出し、1955年には軽四輪自動車にも進出した。
鈴木修氏は2代目社長の鈴木俊三氏の娘婿となり1958年、愛知銀行を退職しスズキに入社した。その後の修氏は以下のような変遷を辿ることになる。
・1978年 代表取締役社長に就任
・2006年 代表取締役会長(CEO)
・2008年 代表取締役会長兼社長(CEO&COO)
・2015年 代表取締役会長(CEO)
・2016年 CEO職を辞任し 代表取締役会長のみとなる。
という具合に、2006年にCOOを退任し第一線を退いたが、2008年に再びCOOとして陣頭指揮に復帰している。2008年といえば修氏は既に78歳であり、にも関わらずCOOとして復帰したという事は、人材難と共に修氏の経営手腕がずば抜けていた事で、修氏不在のスズキは成り立たないのだった。
実はスズキの軽というのは、2006年頃までは安定性も耐久性もはっきり言ってお粗末なもので、車を知っているユーザーは先ず買わなかった。日産は2007年にスズキ アルトを日産ピノとしてOEM供給を受けて販売した。これに試乗した結果は、噂には聞いていたが酷い車だった。事実、この時日産のセールスマンはとてもではないがお客さんに勧められる車じゃあ無い、と言っていた。
⇒NISSAN PINO 660S 簡易試乗記 2007/12
ところが2009年に試乗した新型アルトは、アッと驚く、旧型とは月とすっぽんくらいに改良されていた。
⇒スズキ アルトG 2WD 4AT 2009/12
また、スズキ車は耐衝突性試験が強化された1993年時点では、ライバルのダイハツや三菱に比べて明らかに技術的に劣っていたから、試験をクリアするにあっては相当の苦労があったと思える。
加えて、他社が挙って中国や米国での商売に傾倒していくなかで、スズキは米国から撤退し、中国ではなくインドに進出して、その後インドではナンバーワンのカーメーカーとなっている。
このような危機を見事に乗り切って、言ってみれば下位メーカーにも関わらず安定した経営を実施できたのも、鈴木修氏の経営者としての高い能力のお陰だったが、さて、今後のスズキはどうなるのだろうか?