Alpine A110 (2020/1) 前編 その1 |
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アルピーヌ社は元々ルノーのチューナーで1973年、ルノーに買収された。同様にスポーツモデルにその名を残しているゴルディーニもルノーのチューナーであったが、こちらは一足先の1969年にルノーに買収されている。 そのルノーの歴史は古く、創立は1898年であり、1933年には航空機製造にも進出している。しかし1940年に第2次大戦におけるドイツのフランス占領により工場が接収され、しかもルノーの創業者であるルイ ルノーは工場と従業員を守るために占領軍に協力した事から、1944年の連合軍によるフランス解放後に対独協力者として逮捕され獄中で死亡してしまった。死因は病死と公表されているが実は獄中での虐待・暴行によるとも伝えられている。そして新たなフランスの指導者となったドゴール大統領の命令により国営化されルノー公団となったという、何やら胡散臭い歴史がある。 創業者の死と生産設備の破壊という苦境に陥ったルノーだが、国有化を機に生産設備や販売網の復興を進め、加えて戦前から行われていた新型車の開発を継続した。この結果僅か1年でその後のルノーを支える事になった 4CV (写真1) を発表し翌年から販売が開始された。 この 4CV は日本でも日野自動車がノックダウン生産を行い、日野ルノーとして販売されていて、タクシー用としても多くが街中を走っていた。1960年頃の東京のタクシーはクラウンが中型、ダットサンが小型、そして更に小さいルノーという3ランクあり、初乗りはそれぞれ確か80円、70円、60円だったような覚えがある。 この日本でもお馴染みのルノー 4CV は、当時子供心にも何だか VW (フォルクスワーゲンビートル、写真2) の子分みたいだと思ったものだ。当時 VW はルノーよりも上級車であり、サイズも価格も高かった。確かに構成を見れば両車はボディー後端にエンジンを配置するリアエンジン方式という面でも同形式だった。VW はフランスからすれば宿敵だったヒトラーの命令で開発されたクルマであり、皮肉にもそのクルマと設計思想が同じというのは戦争中のドイツ占領下で開発された事も大きく関わっているだろう。 4CV で成功したルノーはより上級車として同じリアエンジンの小型車であるルノー8 (R8 、写真3) を1962年に発売した。この R8 にはパワフルなエンジンを搭載しモータースポーツ用のベース車として R8 ゴルディーニ (写真4) も発売された。このゴルディーニはブルーにホワイトストライブのボディーカラーのみであり、当時この色こそがゴルディーニの代名詞となっていたようだ。と言っても当時の日本では標準の R8 すら走っているのを見た記憶が無かったが。 |
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この R8 をベースとしてルノーのチューナーであるアルピーヌが1963年に製造したのが A110 を代表として各種バリエーションを展開したアルピーヌ (写真5) で、主として 1100 や 1300 のゴルディーニエンジンを搭載していた。ボディーは鋼管バックボーンタイプのシャーシに FRP ボディーを被せるという、当時の高性能スポーツカーやレーシンカーではお馴染みの手法を採っていた。このボディ形式により A110 の重量はモデルによっては700kg代 (データーによっては600kg代!) 、後期の 1.6L モデルでも 840kg という驚異的な軽さを誇っていた。 サイズは全長 3,850 x 全幅 1,450 x 全高 1,130o というコンパクトさで、これはホンダS660 の全長 3,395 x 全幅 1,475 x 全高 1,180o と比べても全長こそ長いが、全幅は A110 の方が僅かながら狭いくらいで、その割に S660 の車輛重量は 850kg もありエンジンは 64ps だが、A110 の 1.3 ゴルディーニは 170ps もあるから速いのは当然で、それが半世紀以上前に発売されていたのだから凄いものだ。 なお当時の日本での価格はと言うと、1968年モデルの 120ps バージョンで 265万円だったようで、これはかの有名なトヨタ 2000GT の 238万円よりも高価だった事になる。因みに同年のポルシェは 911T が395万円、911S では 520万円という高価格だった。しかし、これで驚いてはいけない。フェラーリ 330GTC に至っては 1,400万円という恐ろしい価格だった。これ半世紀前だからねっ。 ポルシェ 911 といえばエンジンをリアに置くというレイアウトでもアルピーヌ A110 と共通点が多く、言い換えれば A110 は 911 の弟分的な地位だった覚えがある。A110 がモータースポーツファンの間で有名なのは特にラリーの世界での活躍であり、1973年の初代 WRC ではマニファクチャラー チャンピオンを獲得したことだ (写真6) 。これはリアエンジンのよるトラクションとボディの圧倒的な軽量化が功を奏した結果だった。と同時に当時のラリーは高速コースが多かった事もあり、ラリーとは無縁に思えるポルシェ 911 も特にモンテカルロラリーでは強さを発揮していて、1968年の総合優勝を始まりとして3年間連続で 1−2 位フィニッシュという快挙を成し遂げている。 日本ではラリーというと悪路を走るイメージが多いが、これは日産が優勝した事で本来のラリーとは趣の異なるサファリラリーの影響もあり、またパジェロの活躍で有名になったパリダカールラリー (パリダカ) での影響も大きいが、実はパリダカというのはWRCラリーと比べればゲテモノの部類であり、ラリーレイド (クロスカントリーラリー) のカテゴリーだった。 話が逸れてしまったが、このようなラリーの活躍によりアルピーヌは日本でもマニアの間では有名な存在だった。そのアルピーヌを現代の技術で蘇らせるという事で、コンセプトカーが発表されたのが 2012年だった。 |
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この続きはその2にて‥‥。 |