B_Otaku のクルマ日記 放射能関連データ (http://atmc.jpへリンク) |
2017/1/20(Fri) |
Nissan Note Hybrid |
日産ノートがマイナーチェンジを実施し、新たにハイブリッドモデルが追加された。日産のハイブリッドって、もしかしてあのナンチャってハイブリッド? いえいえ、今回は何と‥‥世 界 初 の‥‥“自ら発電する電気自動車”で、日産では e-POWER と呼んでいる。これは要するに電気自動車の電源を大型バッテリーではなく発電専用のエンジンとしたもので、鉄道の分野では既に実用化されている。駆動はモーターが行うから特性は電気自動車と同様に電気モーターの特徴である強大な低速トルクを発生するし、大型バッテリーと違い充電する手間がないなど、結構メリットも大きい。 その発電用エンジンは、何を隠そうノートの 1.2L で型式も HR-12DE と変わらない。出力も 76ps と同じだがトルクは多少特性が違うようだ。他社の B セグメントハイブリッドと比較すると、モーターだけを見ればノートが圧倒的に強力なのが判るが、ノートはエンジン駆動が無いからモーター出力=システム出力であり、これは109psとなるが、トルクは 254Nm と 2.5L エンジン並だ。 価格としてはライバル他車と同価格帯でベースグレードなら200万円でお釣りがくる。そして燃費もあのトヨタのベストセラーハイブリッド車のアクアよりも 0.2q/L (わざとらしいっ!) 勝っている。 なおノートには当然従来からのガソリン車もある訳で、こちらはマイナーチェンジで多少変更はあるとは言え、基本的には変わらないようだ。
ここでハイブリッド車、" e-POWER" のエクステリアをみると、まあ外観的に特にハイブリッドらしきものは見当たらない。
なお、各部の詳細については何時ものように、次回以降に数回に分けて連載する予定だ。 続く
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2017/1/19(Thu) | Renault Alpine |
ルノーはアルピーヌ (Alpine) を復活させるようで、そのコンセプトカーは既に Alpine Vision Concept (2016) として発表されているが、これをベースとした量産モデルが日本でも近い将来販売されるという。 アルピーヌといえばその昔 A110 (写真下の左側) というモデルが思い浮かぶアタナは充分に高齢者の部類だが、それが現代に蘇る (写真下の右側) ということだ。なおアルピーヌはルノーのモデルをベースにしたスペシャルカーを作ってはいたが当初は別の会社で、1973年にルノーに買収されたから、A110 発表時ではルノーの名前は付いて無かった。 アルピーヌ A110 のデビューは1963年でエンジンをリアに積む2シータースポーツカーであり、リアエンジンと言えばポルシェが思い浮かぶが、初代のポルシェ 911 (タイプ901) がデビューしたのも A110 と同じ 1963年だった。それでは A110 と911 の違いとして先ずはアウターサイズを比較してみると ということで、911に比べて一回り小さいクルマであり、全幅1,460o というのは今の軽自動車の1,475o よりも僅かに小さいくらいだから、その小ささが判るだろう。ただし全長は軽自動車の3,395o よりも 455o 長いから、感覚としてはホンダ S660 を数百o 長くしたようなものだ。尤も 911 にしても初期型の全幅は 1,610o と今の感覚でいえば随分と狭いし、長さについては A110 よりも少し長い程度と現行 911 と比べて随分小さいクルマだった。 なお1969年の日本での価格を調べてみたらば、アルピーヌ ベルリネッタ (A110 1300と思われる) が265万円でポルシェ 911T は375万円、そして911S は550万円だった。因みに同じ年のトヨタ2000GT は238万円でトヨタスポーツ800は59万円だから、911S の高価なことが判るだろう。しかしそんな事で驚いてはいけない。なぜならフェラーリ 330GTC は 1,400万円だったからだ。 話を戻して、A110 のエンジンはルノーゴルディーニベース (一部例外あり) で排気量は 1100, 1300, 1600とバリエーションが多かった。中でも1968年の1600S は129ps 14.9kgm のエンジンを760s という軽量なボディと組み合わせたことでゼロヨン加速は15秒だったという。この小型軽量のリアエンジン車である A110 は、欧州のラリーではすこぶる強くて初期の WRC の常連だったのもオールドファンにとっては懐かしい事だろう。 その後1971年には後継モデルであるA310 (写真下の右側) が発売されたが、A110 の人気は高くて1977年まで継続販売されていた。 このようにヴィンテージスポーツとしてはポルシェ911に勝るとも劣らない歴史と実績のあるアルピーヌだが1995年にアルピーヌブランドは一度途絶えてしまった。しかし実は工場は存続していてルノースポールの多くが生産されていた。そうなのです、ルノーのスポーツモデルやラリーコンペティションモデルは多くはアルピーヌ工場で生産されていたのだった。 そのアルピーヌが復活するというのは一部のマニアにとっては何とも喜ばしい事だろう。ただしオリジナルの A110 はポルシェ 911と同じリアエンジンだったが、さてこの新型アルピーヌのエンジン搭載位置は‥‥実は色々情報を探してみたが明言されたものは無かった。まあ写真からしてもリアにエンジンは無さそうだ。ということはニュービートルと同じで実はフロントエンジンかな? いや待てよ、下の写真で見ればリアオーバーハングは長いようだからもしかして‥‥とか色々想像するのも楽しみのうちだ。
インテリアも一部公開されているが、これはどう見ても現代的で当時の面影は無い。 なおこのコンセプトカーの詳細を知りたい場合には何時ものように下記にて↓
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2017/1/18(Wed) | フォードは日本から撤退していた |
フォードと言えば多少は落ち目とは言っても米国では小型車の販売で第2位であり、また日本においても戦前から日本法人が存在してフォード車を販売していたなど、日本とは縁の深い輸入車でもあった。そして最近のフォード車としてはこのサイトでも2年程前に何車種かのフォード車に試乗したが、”アメ車” のイメージとは違い寧ろ欧州テイストも備えた中にアメリカンの良さも併せ持ち、しかも買い得価格という中々のものだった。 そして遅れて発売されるマスタングの新型 V8 モデルの試乗を計画していた昨年の1月に、突如発表されたのが昨年末までにフォードが日本から撤退するというニュースだった。いや、まあ、これは寝耳に水だった。それにしても日本市場向けのモデルまで計画していて、本格的な拡販を準備中の矢先の撤退表明であり、もしかして結局撤退計画を撤回するのでは? 何ていう思いもあったが、計画通りに昨年の9月末をもって日本でビジネスは終了してしまった。というか、何を隠そうフォードの件はすっかり忘れていて、気付いたら既に撤退済みだったというのが本当のところだが (汗 こうしてみると、2015年にあっという間に売り切れた新型マスタングを買ったユーザーは、ある面貴重なクルマを手に入れたわけで、マスタングの正規輸入車なんてもう当分 (もしかして永遠に) 手に入らないのだから。 |
2017/1/16(Mon) | あのクルマは今? <4> MarkU |
米国での乗用車販売トップ10の主流を占めている中型 FF 車をみると、成る程日本とは実情が違うと認識するが、いや待てよ、日本だって一番売れているクルマがマークUだった時代もあった筈だ。マークUといえば RWD のハイオーセダンであり、車格的には現在の米国中型 FF セダンに近いのではないだろうか。しかも当時はマークUは3兄弟であり、他にも日産ローレルやスカイラインなども売れていたから、多くの庶民がこれを買っていたのだった。 ここでそのマークUの生い立ちを簡単に纏めてみる。初代マークUは 1968年に発売されたT60で、これはコロナ (T40) の上級車種として当時はコロナマークUが正式な名称だった。確かに初代マークUの型式 T60の ”T” はコロナと同じだ。当時はコロナが少し大きくなって新型になったのかと思ったくらいで、ところがその後もコロナはモデルヂェンジを繰り返しながら延々と併売されていた。下の写真を見ると成る程デザイン的にもコロナの延長上にあったが、見た感じでは明らかに大きかった。 しかし初代マークUは同時代の日産のライバルであった初代ローレルと比べればクルマとしてはどう考えても負けていた。例えばローレルのリアサスは BMW を範とした (パクったなんて言ってはいけない) セミトレーリング式だったのに対してマークUは半楕円形リーフ、要するに板バネのリジッドだったし、ローレルのステアリングはクイックなスポーツカー張りのラック&ピニオン式が採用されていたなど、技術的には大いに差がついていた。しかし日本の大衆はセミトレサスよりも豪華で大きく見えるマークUを選んだのだった。この辺りから日産がトヨタの水を開けられ始めて、やがては今のように大きなる差が付いてしまったのだった。 初代マークUの時代にはクラウンとまではいかなくとも、誰にでも買えるという訳にはいかなかったが、その後の日本の経済発展とともにマークUも順次モデルチェンジが実施されていった。そしてコロナマークUからトヨタ マークUとなったのは5代目のX70 (1984年) からで、この頃から4ドアハードトップなるものが主流となりつつあった。このタイプのメリットと言えばスタイルくらいなもので、低いルーフによる室内空間の狭さや細いセンターピラー (中にはピラーの無いものすらあった) による低い剛性など、クルマ好きから見たらば眉をひそめるようなクルマだった。 そしてバブル経済華やかしき頃は一億総中流階級時代であり、写真左下のようなカッコの良いハイオーナーカーである6代目マークU(X80 1988−1992) は大いに売れまくって、国産車の売り上げトップに躍り出ていた。このモデルはマークUと共にチェイサーおよびクレスタという兄弟車があり、3車種合計で毎月 2万台以上売れていた覚えがある。 しかしその後のバブル崩壊によりマークUの人気も徐々に下降していき、マークUという名称も9代目 X110 (2000−2004) が最後となった。なお2004年のマークUの販売台数は月平均で3,400台前後になっていたから、最盛期の6分の1となってしまった事になる。なおこの9代目では兄弟車のチェイサーとクレスタは廃止されてマークUのみとなっている。 マークUという名称は廃止されたが実はマークX という名前で継続しているのはご存知の通りで、マークXとしては初代 GRX120 (2004−2009) を経て現行モデルは2代目 GRX130 (2009−)が継続生産されている。しかし既に8年というロングライフであり、本来ならFMCすべき時期だがそんな噂も聞かない。まあこの手のクルマは今後は廃止される可能性は大きいが、現行車はベースモデルが 265.7万円という6気筒2.5L の RWD セダンとしては破格の買い得車となっている。因みに 2015年の年間販売台数は約8,200台、あっ、これは年間なので月平均では700台弱という状況だから、まあ次期モデルは無いかもなぁ。 なお現行マークXについては以下の試乗記を参照されたい。 ⇒ Toyota Mark X 250G Relax Edition (2011/6) 試乗記
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