B_Otaku のクルマ日記 特別編 ご注意:この記事は特別編です。毒舌やら嫌韓やらで満ち溢れています。 |
2016/3/11(Fri) |
大震災から5年 |
あの東日本大震災が起こったのは五年前の今日、3月11日だった。あの日のあの時間は偶然に自宅に居て、揺れ始めた時はその揺れ具合から前日と同じ震度4くらいに感じたが、揺れの波形とゆうか、揺れの振幅が震度の割に大きいので、これゃあ昨日と同じで東北辺りで少し大く揺れているのかな、なんて思っていたし1分もすれば収まるだろうとも考えたのだが、それどころが揺れは大きくなってゆく。更に1分、すなわち揺れ始めてから2分ぐらい経った時に突然より強い縦揺れを感じで、食器棚から瀬戸物が滝のように落下して、これぁ一体どうなってんだぁ? と、あっけに取られたのを思い出した。 それで、直ぐにネットで地震情報を調べたら、一番最新の情報では茨城が震源となっていたが、他のサイトでは東北で大きな自身が発生、とかいう速報もあるし、何かが変だった。結局後で判ったのは、東北での揺れが発生してから1分ごとに計3回の地震が震源地を西に移動しながら発生したということで、成る程2分経過辺りでドカンっと来たのは首都圏に近い茨木沖を震源地とした3発目だったようで、これは当日体感したのと辻褄が合う。 しかし地震自体は確かに大きかったとはいえ、東北ですら阪神淡路のような大惨事にはならずにやれやれと思ったのもつかの間で、実は巨大な津波が襲っていたのが徐々に判ってきて、こりゃ大変なことになったと思ったらば、更に福島第二原発で炉心の冷却機能が失われて内部の水位が下がって燃料の一部が水面から露出したというニュースが耳に入り、こりゃヤバイんじゃねぇか? なんて思っていたら今度は福島第一原発でも電源喪失で冷却水位が下がっているというニュースで、何やらエライことになっているという情況だった。 ここで思い出したが、あの時最初に冷却機能を失って危険状態になったのは福島第二だった筈なのに、その後は福島第一の状況が更に悪化して一号機の水素爆発の映像が公開されるのを見て、ますますヤバイぞと思ったのは当然だが、あの映像は確かに瞬時に白いガスが横方向に飛散したのが見えたから、これは水素爆発には違いないということと、それなら炉心とかは影響ない無いかもしれない、なんて淡い期待もしていたものだった。 その多少の安心感が吹っ飛んだのは3号炉の爆発映像で、原発建屋の天井辺りからから黒い煙がモクモクと上がってそれがきのこ雲のようになり、また上に吹き上げた大きな破片が途中まで上がってから下に落下しているのもハッキリ写っていた。それは1号機に比べて明らかに燃焼速度は遅いし黒い煙だからどう考えても水素爆発の訳がない。まあそんなことが映像を見た瞬間に脳裏を過ぎっていったから、こやぁもしかして日本は終わったのかも? と本気で思ったが、何しろ余りにも重大すぎて実感が持てなかった。 今から 40年位前になるだろうか、当時作家の広瀬隆氏の小説で題名は忘れたが最後に東海村の原発が爆発してきのこ雲を上げている場面を読んで、まさかそんな事が実際に起きる筈は無いが、もしそうなったらば周囲数十キロが立ち入り禁止区域になる、という事もその小説で知ったのだが、なんとそれが現実となった訳で、しかも3機が爆発し、もう1機も炉心は溶融して格納容器を突き抜けて今でも正確な位置や状況が解らないという、小説ですら想定出来なかったような自体になるとは‥‥。 さて、事故から5年が経過したが、その5年後というのは旧ソ連のチェルノブイリ原発事故では、放射線障害と思われる症状が住民の間で劇的に増え始めた時期だから、その経験からすれば日本でもそろそろ大変なことになる訳で、まあ勿論それ程でもない事を願うだけだが、本当のところはどうなのか? いずれにしても、後1年も経てばかなりのところが判るだろう。 さあて、来年の今日は一体我々は何処でどうしているのやら。
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