ホンダS600が発売された翌年の1965(昭和40)年に、トヨタスポーツ800が発売された。
ライバルにあたるホンダS800が高度なDOHCに4連キャブというレーシングカー並のエンジンを載せていたのに対して、 こちらは国民車であるパブリカの697ccエンジンを790ccにアップした空冷OHV、水平対向2気筒エンジンを搭載していた。性能はホンダの70psに対して45psと何とも非力に感じるが、580kgという軽量なボディのお蔭で、スポーツの名に恥じない性能を持っていた。 ホンダS800が通称「エスハチ」と呼ばれたのに対して、こちらは「ヨタハチ」とい呼ばれた。これはある面ではバカにした呼びかただけれども、一面ではユーモラスで、何やらキャラクターに合ってはいる。
スタイルは同じトヨタの2000GTを連想させるノングノーズのスポーツカールックで、スタイルから言えばホンダS600/800よりの魅力的だったが、なにしろパブリカベースの空冷水平対向2気筒のバタバタという音は、スポーツカーやレーシングカーから想像されるのとはまるで違ったから、 このボディにホンダのエンジンを載せられたらば・・・なんて妄想をしたものだった。あの頃はパブリカみたいで安っぽいと思ったヒューン・バタバタという音も、今考えてみれば空冷ポルシェのようだとも言えるが、 当時の日本ではポルシェなんていうのは、排気音を聞くどころか、社名すら全く知られていなかった。
ここで「ヨタハチ」のエンジンのオリジナルであるパブリカについて触れてみよう。パブリカは国民車構想をd元にしたトヨタのボトムエンドのクルマで、 1961(昭和36)年にデビューした。実はパブリカの発売時点では、父親の兄(自分から見れば叔父)が販売(パブリカ)店を共同経営していたこともあり、我が家のファミリーカーはパブリカだった。 小学生の子供から見ても、パブリカは決して自慢できる存在ではなかった。実はパブリカというクルマは、今になってみれば大したオリジナリティと理想主義に燃えた作品だったのだが、 残念ながら、大多数の日本人には受け入れられることは無かった。トヨタはこのパブリカで、日本の大衆なんていうものは、折角理想的なクルマを作っても、どうせ理解できないのだら、 それなら見かけだけで中身は空っぽのクルマを作ればいいのだ・・と悟って開発したのがカローラだったそうだ。その後は見かけだけのクルマで成功の連続で、遂には世界一目前の現在に至ったことになる。
もしも、あの時、パブリカが大成功していたら?理想主義に燃えていたトヨタを、80点主義の見掛け倒しクルマ専門メーカーにしてしまったのは、我々日本人自身だったということだ。 |