昭和40(1965)年、当時中学の同級生と見に行った東京モーターショーで、一番人気はトヨタの発表した2000GTだった。
ロングノーズ、ショートデッキの低い2シータースポーツは、スタイルもスペックも当時の日本のクルマのレベルに比べればマルで次元が違って見えて、展示された現物を人ごみの中で見つめながら溜息をついたものだった。 その後も各種のテストが繰り返されて昭和41年の第3回日本グランプリからサーキットビューし、スピードトライアルにも挑戦したりして熟成され、昭和43年に市販が開始された。
価格は何と238万円!当時の貨幣価値からすれば、今現在F430を買うよりも余程大変だったろう。エンジンは直6DOHC、ソレックスツインチョークキャブを3連装して150ps/6600rpmを発生した。 ミッションはフルシンクロ5速でゼロヨンは15.9秒と発表されていた。
ここで、フェアレディ(SR311)と比べてみると、パワーではたったの5ps、ゼロヨンに至ってはフェアレディ2000の方が0.5秒も早い。 しかも値段は2000GTが3倍もする。要するに2000GTは豪華な高級グランツーリスモとして発売された訳だ。
実は、42年に晴海で行われたレーシングカーショーを、高校の同級生の悪友と2時間目の授業を抜け出して平日の空いた状況でユックリと見学した際に、このトヨタ2000GTは運転席に自由に座れる状態だった。当時の庶民には別世界だった2000GTのコクピットに座ったクルマ好きな高校生は、正に夢心地だった。
何より、室内の高級感は当時の国産車としては群を抜いており、低いシートに座って光輝くローズウッドのパネルにずらり並ぶ精密そうなメーターを眺めながら、5速ミッションをガチャガチャや って悦に入ったのだった。 この豪華なクルマから降りて次に向かったのが何とニッサンR380!しかも、380のコクピットにも乗せてもらえた。
が、それは車内の随所に補強のパイプが通っているし、 内装の内張りはなし。シートはコチコチに硬いし、トヨタ2000GTが超高級な雰囲気に浸れたのとは正反対に 、 無骨な機械の中で正に仕事をするという雰囲気で、こんな中で命がけでレースをするドライバーなんていう職業は、とてもじゃないがマトモな神経じゃ勤まらないとビビッたものだった。
トヨタ2000GTにはオープンモデルが存在するが、これは一般には市販されない特注モデルだった。当時、世界的に人気のあったスパイアクションの007シリーズで主役のショーンコネリー扮するジェームスボンドが乗るクルマはアストンマーチンのDBシリーズだったが、 そのシリーズで「007は二度死ぬ」(1967年)という題名の作品の舞台が日本、そしてアストンマーチンの変わりにジェームスボンドが乗ったのが、オープンモデルの2000GT。映画で使った1台だけなのか、 他にも予備?が作られたのかは判らない。 この映画ではボンドガールも日本人女優が起用された(浜美枝と若林映子)。
敗戦の混乱からやっと立ち直って、日本が世界の先進国の仲間入りを始めたころ、クルマの世界でも世界に誇れる高級GTカーのトヨタ2000GTは、 当時の日本人の誇りでもあり、心の拠り所でもあった。その割には、いくら40年前とは言え、性能的には大した事は無かったような気がするが? これに比べれば、同じ2リッタークラスでも世界のトップレーシングカーのミッドエンジン車であるポルシェ906(カレラ6)を目標としたプリンス(後にニッサン)R380の凄さは次元が違ったが、 一般人へのアピールではトヨタに軍配が挙がったようだ。
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