ホンダ S600

 

 


2輪車では世界中で高性能車の評価を欲しいままに手に入れたホンダが、4輪車に進出したのは1962(昭和37)年の事だった。この年の6月にスポーツカーのS360と軽トラックのT360が公開された。 さらに10月のモーターショーではS500と呼ばれるオープン2シーターのスポーツカーが出品された。

その1年後の1963年10月にS500は発売され、翌年(昭和39年)の3月にはS600となった。606ccの4気筒DOHCエンジンは京浜製の可変ベンチュリーCVキャブを4連装して、57ps/8500rpmの最大出力を発生した。 OHVが常識だった当時としては、S600のエンジンは正にレーシングカー並みだったが、考えれ見ればレーシングカーというよりもバイク並みと言うのが正しいかもしれない。 その証拠にS600の後輪はチェーンドライブで、当時クルマ好きだった父親は「S600なんてバイク2台並べてボディでつないだようなものだ」と言っていた。
当時中学の帰りに、近所のホンダデーラー(というより街のオートバイ屋)にあったS600の運転席に勝手に乗り込んで、シフトレバーをガチャガチャやっても、文句ひとつ言われない良き時代だった。

更に翌年の1965(昭和40年)にはファストバックを袈装したS600クーペも追加された。このクーペはスタイルとしては何やらアンバランスではあったが、何より耐候性の良さを考えればオープンよりも遥かに実用性があった。 しかもS600クーペはリアにゲートを持っていた。この当時バッチバッククーペというのだから、流石にホンダの先進性は感心するしかない。価格はオープンのS600が50.9万円、クーペが54.5万円だった。

ところで、最初に発表されたものの、発売には至らなかったS360のDOHCエンジンはどうなったのか?と言えば、ボツにはならずにチャンと市販車に搭載されたいた。それがT360という軽トラックで、レーシングエンジン並みのDHCを積んだ軽トラというのもホンダらしい。 それが理由だか如何だかは判らないが、当時、中学校の傍の鉄工所のアンちゃんが、このT360のマフラーを改造して、バリバリいわせながら得意になって走り回っていたのを思い出す。 あのアンちゃん達は、ホンダF1並みのエンジンに酔いしれていたのかもしれない。と考えれば、最近の改造ワゴンRのバカ兄ちゃんよりは、遥かに理に適っていたのかも知れない。
1966(昭和41年)には、S600はパワーがイマイチという世間の要求に答えて、791cc、70ps/8000rpmのS800が追加される。 外観上の大きな違いは、ラジエターグリルとボンネット上の「力コブ」くらいだが、内容は大幅に改良されていた。
戦後日本のクルマ創世記に、常に先端を走った技術のホンダ。今のホンダに、果してコンナ情熱あるクルマがあるだろうか? 今や、ミニバン専門の大企業になってしまったホンダでは、精々頑張っても鳴かず飛ばずのS2000程度しか出来ないようだ。