ニッサン  フェアレディZ 

 

 


 


1969年の秋にデビューしたフェアレディZは、スパルタンなオープン2シーターであった先代フェアレディ(SR)に対して、近代的なクーペボディを持つ、正に1970年代を予感する最新鋭のスポーツカーだった。

ロングノーズのクーペボディはジャガーEタイプに端を発 し、国産ではトヨタ2000GTと同系の、如何にもスポーツカーというエクステリアを持っていた。フェアレディZには2種類のエンジンが設定されていて、ひとつはセドリックと共通のSOHC 直列6気筒 1998ccにツインSUキャブにより130psにアップされたL20型 と4MTを搭載したベースグレードのZ(93万円)。これに5MTと豪華装備のZ−L(108万円)、そしてミッドシップレーシングカーであるR380 用エンジンを市販用にデチューンし、DOHC 直列6気筒 1989ccから160ps/7000rpmを発生したS20型を搭載するZ432(160万円) があった。この432の由来は4バルブ、3連キャブ(ソレックスツイン×3)、2カムシャフトを表している。なお、このS20型エンジンは初代GT−Rにも搭載されていたからマニアには御なじみのエンジンでもある。

フェアレディZの強みは、当時女の子にもてるクルマの代表のように言われていたカッコよさと共に、トヨタ2000GT(238万円)に比べて半額以下( 93万円)という、抜群のコストパフォーマンスにあった。ただし、当時の日本では2ℓを超えた排気量では”3”ナンバーとってしまい、極端に 税金(取得時も毎年の自動車税も)が上がる事から、米国では2.4ℓであったフェアレディZは、国内では2リッターを搭載していたから、そのスポーティな外観の割には、大した動力性能ではなかった。 実際に発売当時試乗したときは、そのカッコ良さと低い運転姿勢、湾曲したドアなど、これぞスポーツカーと感動したが、走り出した直後に、その緩慢な動力性能にガッカリしたのを今でも覚えている。同乗したセールスマンは、しきりにカーオーディオのカセットから流れる音を自画自賛していた。したがって、当時のフェアレディZの位置づけは、どちらかといえば見かけ重視のカッコ付けクルマと見られていた。そして、性能的に満足できるZ432は、高価なこととシビアなレーシングエンジンの使い辛さもあり、売れ行きは芳しくなかった。

1973年には北米用の2.4ℓモデルが国内でも発売された。2ℓモデルのL20エンジンを拡大したL24エンジンは、150ps/5600rpmの最高出力を発生し、これはZ432の160psに迫る性能だった。その2.4の上級モデルにオーバーフェンダーと空力特性を向上させるGノーズというと呼ばれるフロントを持ったのが240ZGで、当時の国産スポーツカーとしては、かなりの高性能 ではあったが、3ナンバー車は物品税が高く、価格は150万円(当時は物品税込み)と、コストパフォーマンス抜群のフェアレディZ というイメージとは違い、割高感もあった。さらには、維持費(3ナンバーは自動車税も高い)を考えると、サラリーマンが所有するのは大変だったこともあり、240Z自体の売れ行きは決して良くなかったと記憶している。

この初代フェアレディZ(S30)は、日本以上に北米で大成功したことは言うまでもない。性能的にはポルシェ911に迫り、価格は大幅に安いというフェアレディZのコンセプトは今でもニッサンの伝統となっており、これは今話題のGT−Rとポルシェ911ターボとの関係にも続いている。