今では中・大型商用車メーカーとなった日野自動車は1958年にフランスのルノー公団と技術提携して、当時の欧州ではVWビートルと人気を二分するルノー4CVのノックダウン生産を行った。日野ルノーで蓄積したノウハウを元に、独自に開発したのが1961年4月に発売されたコンテッサ900で、このクルマはルノーと同様にリアにエンジンを搭載するスマートなセダンだった。それから3年半後の1964年8月には2代目のコンテッサ1300となり、4ヶ月遅れで発売されてたのがコンテッサクーペだった。
コンテッサクーペのボディはイタリアのミケロッティによる、実に美しいボティをまとっていた。
エンジンは直4OHV、1251ccからSUツインキャブにより65ps/5500rpmの最高出力と10.0kg・m/3800rpmの最大トルクを発生した。このスペックからも判るように、コンテッサクーペは性能重視のスポーツタイプではなく、優雅なスタイルを楽しみ贅沢なパーソナルカーであった。価格は85.3万円と当時の1.3ℓとしては高価だった。ちなみにブルーバード410は64万円、スカイラインGT−Bが94万円だったから、コンテッサクーペのコストパフォーマンスは決して良くはなかった。このことからも想像できるように、コンテッサは営業面では決して成功策ではなく、67年にはコンテッサシリーズの生産が中止され、同時に日野自動車は乗用車事業から撤退した。 |