1966年のジュネーブショーで若きジウジアーロのデザインによる極めて優雅なスポーツクーペがギア・いすゞ117クーペとして発表された。このクルマは1968年に117クーペとして正式に発売された。
初期の117クーペは月産数十台で、多くの部分がハンドメイドによる当時の日本車としては群を抜いてエレガントな存在だった。エンジンはDOHC1.6ℓでダブルチョークソレックスキャブの2連装
による120ps/6400rpmと、当時としては可也の高性能だった。価格は記憶によれば、確か175万円だったと思う。トヨタ2000GTの238円には及ばないが、当時の国産車としては文句なしの高額車だった。
117の室内は磨き上げられたウッドパネル
(勿論ムク)をくりぬいて取り付けられた6つのメーター、正面に回転計と速度計(確かフルスケールが230km/hだった)、
中央に電流計、燃料計、水温計、油圧計が並び、メーター自体も英国のスミス社と提携した(関東精機製だったと思う)雰囲気満点のデザインで、正に英国製の高級スポーツカー
的な雰囲気に溢れていた。シートはビニールレザーだったが、その質感は当時としては驚くほど高く、チョット見ればレザーのようだった。ただし、座り心地は国産車の悲しさで、見かけの割には長時間のドライブで腰が痛くなったりしたが、そうはいっても当時の国産車としては最高のシートでもあった。
117クーペのサスペンションはリアがリーフリジットだったが、スタビライザーやトルクロッドにより、下手な独立懸架よりも高性能だった。乗り心地はフワフワ、ユラユラが定番だった当時の車としては例外的に硬くてシッカリしていたが、操舵力は相当に重く、アンダーステアもかなり大きめだった。
その後、1973年にはプレスによる量産型に移行し、価格も大幅に下がったが、よく見ればプレスラインはハンドメイドの優雅なラインとは違うし、内装なども随所にコストダウンの形跡が発見された。
戦後日本の自動車史において、いすゞ117クーペはエレガントという面ではダントルのNo1であり、歴史に残る名車であることに異論はでないだろう。
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